書評
長砂實 問題提起に富む好著
「ソ連社会主義」が崩壊して早くも20数年経った。十月革命まで遡れば、一世紀が過ぎ去ろうとしている。人類の将来展望と関わらせて、この間の歴史をどう評価すべきかについて、内外で多くの議論がされてきた。ところが今まで、「本家本元」のソ連・ロシアの人々の諸見解は案外本格的に紹介・検討されていない。本書は、この空隙を埋めるに絶好の資料となる。著者の岡田進氏は、東京外大名誉教授。長年、ユーラシア研究所発行の理論・情報誌(月刊)の編集長を務めている学究の徒である。
「はしがき」では著者の基本的スタンスが述べられている。本書で主として紹介・検討されるのは、「マルクス主義を批判的に継承しながら、『民族社会主義』とも、西欧の社会民主主義とも異なる21世紀型の社会主義を模索しようとする潮流である」。
第一章「ロシアにおける新しい社会主義論」(初出論文を大幅に改訂・増補)は、ロシア共産党系の見解、社会民主主義的見解、「批判的マルクス主義」派の見解の三つを要約・紹介している。特に、第三が詳しい。そこで主要な論争点として扱かわれているのは、「21世紀に社会主義革命は必要か」、「十月革命は社会主義革命であったか」の2点である。
第二章 「社会主義論における『スラヴ派』と『西欧派』」では、「若干の考察」でそれぞれの積極面と問題点を摘出したあと、「市場社会主義と労働者自主管理」、および「可能な社会主義」についての論争の積極的意義を論じている。
第三章 「論争:ソ連はどこまで社会主義であったか」は、「批判的マルクス主義派」内部でのソ連社会評価に関する異論を整理している。見解は実に多様多彩であることが判る。
「あとがき」では、「著者の日頃の所思の一端」が吐露される。3点に亘る。第一に、「自由な討論」はいつでもどこでも必要不可欠である。第二に、「ソ連は社会主義とは縁もゆかりもないもの」と決めつけるべきでなく、その総合的・全般的な評価が必要である。第三に、「ポスト資本主義の構想」に「ソ連社会主義」失敗の経験を生かすべき。いずれも有益な警鐘・提言である。ソ連・ロシア経済研究の第一人者である著者は、日本と世界の現状・将来をしっかり見据えている。評者は全面的に共感する。
(関西大学名誉教授、日本ユーラシア協会常任理事)
日本ユーラシア協会の機関紙「日本とユーラシア」2015年8月15日に掲載
村岡到 ロシアではなお「社会主義」を活発に議論 立場の異なる研究者が自由に討論している
著者の岡田進さんは、ロシア経済の専門家で、ユーラシア研究所の牽引者でもある。本書の狙いは「はしがき」に明示されている。
「ソ連で社会主義と呼ばれた体制が崩壊して、四半世紀近くになる。この約四半世紀の間に、ソ連解体後のロシアでは、社会主義はどうなったのだろうか。……ソ連社会が社会主義の名に十分に値する体制ではなかったことは今や明らかだとしても、あれほど世界にインパクトを与えた『ソ連社会主義』を批判的に総括し、それとは異なる新しい社会主義を構想するような動きもロシアではなくなってしまったのか」。
現在、ロシアでは「ソ連体制を諸悪の根源として全面的に否定して西側的な資本主義に乗り替えたことが果たして正しかったか、という問題が改めて起こってきている」。「『ソ連社会主義』に郷愁を感じるグループ」、「北欧型の社会的指向の市場経済に軌道修正すべきだという主張」、「マルクス主義を批判的に継承しながら、二一世紀型の社会主義を模索しようとする潮流」もある。
「わずか一世紀あまりのあいだに資本主義、社会主義、そして再び資本主義を経験した特異な国で、ロシアの理論家たちが、自身の体験を踏まえて、グローバル資本の支配に代わるどのような新しい未来を構想しようとしているかを知ることは、危機の時代におけるわれわれのポスト資本主義論=社会主義論を構築するうえでも、示唆するところが少なくないものと思われる」。
どのような議論が起きているのか。
「第1章 ロシアにおける新しい社会主義論」では、社会主義をめぐる三つの潮流があることを紹介している。ロシア連邦共産党系、社会民主主義、批判的マルクス主義派の三つであり、とくに三番目の代表格アレクサンドル・ブズガーリンの新しい社会主義論を素描する。「第2章 社会主義論における『スラヴ派』と『西欧派』」では、唯物史観に代わる「文明史観」に立つ論者の「ロシア社会主義」論や「可能な社会主義としての市場社会主義」を説く言説を紹介する。「第3章 論争:ソ連はどこまで社会主義だったか」では、「批判的マルクス主義派」のソ連社会論として、「社会主義の二つのモデル」論、「変異種的社会主義」論(ブズガーリン)、「ソビエト・ボナパルティズム」論、「ソ連=ブルジョア社会」論を要約している。
これらでは、「所有問題」「労働者自主管理」「市場の位置・役割」「労働の動機」「分配問題」「十月革命の性格」「レーニン路線とスターリン路線の異同・継承」など、社会主義論における難問との格闘が紹介されている。
めざすべき社会主義論については、ブズガーリンがベネズエラを訪問した時の講演が紹介されている。彼は、社会主義の物質的基盤、計画と市場、所有関係、教育・医療制度、新しい人間のタイプ、対外政策、思想の自由などについて明らかにしている。ブズガーリンは、「一九九七年には来日して各地で講演も行った」。実は、彼を招待する活動のなかで、私は岡田さんと知り合った。雨の公園を散歩したら、ブズガーリンは「雨の散歩は思索によいです」と話しかけた。
もっとも印象深いことは、岡田さんが「あとがき」でも書いているように、これらの諸問題について、「理論的・政治的立場を異にする研究者」が「垣根を越えた学問的交流があり、自由な討論が行われていること」である。ブズガーリンが主導する雑誌にロシア連邦共産党系で「文明史観」に立つ論者が「たびたび寄稿」している。「異端の排斥や政治的批判が横行していたソ連時代とは大きく様変わりしている」(だが、日本ではどの雑誌でも同じ系列の論者しか登場しない)。
「『ソ連社会主義』が何であったかという問題」について、岡田さんは、「あとがき」で「初めからこれを『社会主義とは縁もゆかりもないもの』と決めつけて歴史から抹殺するのではなく、現実に存在したものからわれわれが何を教訓として学び取るかという姿勢こそが必要である」と注意している。周知のように、このいわば「無縁」論を、日本共産党の不破哲三元議長がくりかえし強調している。だが、そういう断罪だけでは、「七〇余年にわたる人類の貴重な経験を無にすることになる」。また、日本ではソ連邦を「国家資本主義」とする者もいるが、ロシアでは「共通して否定されている」。利潤の存在に触れずに「国家資本主義」を説くのは、心臓のない動物が生きているというようなものだからである。
この問題では、ブズガーリンが主張する「変異種的社会主義」が説得的である。批判的マルクス主義派は、「共通してトロツキーの主張に近」い。私は、トロツキズムの洗礼を受けて、共産党が主張していた「生成期社会主義」論や「国家資本主義」論を一貫して批判し、「社会主義への過渡期社会」だと主張し、二〇〇三年には政治的には「党主政」・経済的には「指令経済」だと明らかにしてきた。
「あとがき」の結びで、岡田さんは、私がゴルバチョフから借りて発している「『社会主義へ討論の文化を!』という呼びかけ」に触れているが、本書がその新しいきっかけになることを切望する。
「図書新聞」第3216号(2015年7月25日)に掲載 |