ブックレット・ロゴス

ブックレット・ロゴスNo.6 『脱原発の思想と活動──原発文化を打破する』

脱原発移行期に原発文化を打破する!
経済誌で、週刊誌で「脱原発」特集。世論調査でも「脱原発」が多数派になった。
時代の流れは「脱原発」に転換した!
次に明らかにすべきは、「脱原発」の内実。「脱原発」の思想的根拠とその広がりを明示すること。
「脱原発」は従来の価値観の根本的転換、生活スタイルの一新を求めている。市民運動の質的転換も問われている。
そして政治の変革が必要だ。

『脱原発の思想と活動──原発文化を打破する』 ブックレットロゴスNo.6
2011年6月26日刊行
四六判 124頁 1200円+税
ISBN978-4-904350-22-5 C0030

 脱原発の思想と活動──原発文化を打破する:目次

まえがき
第1部 〈脱原発〉の思想
地球からの警鐘──脱原発への転換を
〈被災生存権所得〉の新設を──東日本大震災に直面して

〈脱原発の思想〉に何を盛り込むのか
 はじめに
 1 「反原発」を包摂・超克する〈脱原発〉
 2 原発の諸特徴
 3 エネルギー政策の面から
 4 「原発文化」からの脱却を
 5 経済システムの面から
 むすび
 付論 原発問題で共産党に問われていること

書評 〈脱原発〉の思想的先駆者・高木仁三郎
    ──高木仁三郎『市民科学者として生きる』
      高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』
   「地域経済」軸に脱原発を国会で主張
      ──吉井英勝著『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』

第2部 〈脱原発〉の活動
エネルギー消費を拡大する原発、小さくする自然エネルギー
                            西尾 漠
東日本大震災の農業被害の実態と課題
     ──農業・食・エネルギーの行方
                            矢崎栄司
  地域社会を離れざるを得ない農業者
  自然・国土を守る公共事業の推進を
  放射線汚染の影響で苦境に立つ農業者
  避難地域に置き去りにされた動物
  原発・化石燃料に頼らない農業へ脱皮を
東海村で脱原発議員として活動              相沢一正
  市民運動と議会活動
  東海第二原発の欠陥と日本原電の事実を曖昧にした公表
  菜の花循環経済の実現をめざす
  3・11以後の私たちの活動と考え  浜岡原発の停止決定を足場に 脱原発を
コラム 北澤宏一氏が脱原発の水路を明示──エネルギーシフト第2回勉強会

第3部 脱原発Q&A
Q1 被災者生活再建支援法って何?
Q2:計画停電をどう見る? 協議計画節電を
Q3:自衛隊の救助活動をどう見る? 災害救助隊に再編を
Q4 国難大連立政権は危険だ──「一つになろう日本」でよいのか?
Q5:減歩の必要性──土地の自治体所有を
Q6:税制はどうあるべきか?
Q7:情報公開の重要性
コラム 憲法第25条 生存権

資 料                        
東北地方太平洋沖地震の被災と福島原発災害への対応についての緊急声明  日本環境学会
国際倫理サミットの開催と地球倫理国際日の創設を訴える
                     日本地球システム・倫理学会 会長服部英二
原発に頼らない安心できる社会へ  城南信用金庫
声明 NPO法人太陽光発電所ネットワーク

あとがき

  まえがき

 今年3月11日に突発した東日本原発震災は、三カ月を経た今でも住み慣れた家を離れて避難している人が10万人を超え、炉心溶融まで起こした原発事故の収束の目処も立っていない。
 現下の最大の課題は、石棺がベストかどうかは分からないが、事故を起こした原発を無害の状態にすることである。そして被災者の生活を再建することである。まさに未曾有の難題である。
 ところが、この難局に被災者の現状はそっちのけで国会では菅直人首相の不信任案提出騒動で醜態をさらしている(6月2日)。翌日の「毎日新聞」は政治部長・古賀攻氏が「……ならば」という条件付きではあるが、「日本の政治は救いようがない」と論評を結んだほどである。しかし、「救いようがない」と断定したところで、それこそ事態はただの一ミリも進展するわけではない。どうしたら、この閉塞から脱出することができるのか、関心のあるすべての人が自らのそれまでの経験と知見を活かして、考え行動しなくてはならない。
 他方、ドイツでは、3・11後直ちに25万人の〈脱原発〉デモが展開され、メルケル政権は6月6日には2022年までに17基あるすべての原発(電力供給の約23%)を廃炉すると発表した。
 日独のこの余りに対照的な相違はどこから生まれたのか、どのような政治的・文化的な違いがあるのか。
 6月11日には全国各地で多くの人が〈脱原発〉デモに参加する。この近年にないデモの高揚を持続的な政治活動に発展させ、政治の閉塞を打破するにはどうしたらよいのか。
 すでに〈脱原発移行期〉は始まった。次は〈脱原発〉の内実を明らかにすることが課題である。その主軸は、「原発文化」を打破することである。もう一つは、このどさくさのなかで狙われている、税制改悪、国会議員の定数削減などを許さない闘いに立上がることである。
 この小さなブックレットは、〈脱原発〉の内実を埋めるための思想的・基礎的論点を明らかにすることに主眼がある。ゆえにタイトルを「脱原発の思想と活動」とした。私たちは〈脱経済成長・豊か精神社会〉を遠望する。原発についての技術的な話や自然エネルギーへの転換に向けての政策的内容は扱っていない。原発の危険性については類書が書店の店頭にたくさん並んでいる。
 私の基本的な姿勢についてだけ明らかにしておきたい。
 国会内で開かれた〈脱原発〉集会で講師の北澤宏一氏から参加者全員に配布された『科学技術は日本を救うのか』(2010年、ディスカヴァー21)の冒頭に示されている次のような立場に深く共鳴する。北澤氏は私と同年同月生まれの方で、日本学術会議の分科会委員長を務めている。北澤氏は、日本の子どもたちが外国に比べて「夢をなくし」ている現実をまず初めに明らかにして、「現在の社会が抱えている多くの課題に大人たちがきちんと取り組もうとしない態度に、子どもたちは非常に大きな不安と不満を覚えています」(22頁)と確認するところから出発する。そして、大人の責任を果たそうと提起する。
 私は、1960年の安保闘争に高校2年生で参加していらい社会主義をめざして生きてきた。そういう「大人」としての責任を果たすことができればと思う。この小冊子が若い人たちに届き、考えるヒントになればと切望する。
村岡 到

  はじめに

 「いよいよ『脱原発』への道が動き出した」──私が主観的願望の吐露として発言したわけでも脱原発団体のニュースからの引用でもない。毎日新聞社発行の週刊誌『エコノミスト』の特集記事からの引用である。この号の特集はずばり「脱原発」。六センチ角の大字だ(五月二四日号、発売一六日)。
 『週刊現代』は「さらば原発 これでいいのだ」と大見出し。「【全国民必読】21世紀日本の選択 浜岡停止の次は敦賀、玄海、伊方……。この国の原発はすべて止める」と表紙に大書してある(五月二八日号、発売一六日)。
 一挙的に進展することはないだろうが、今や〈脱原発〉は不可逆な動向である。〈脱原発移行期〉が始まった。3・11の衝撃はかくも巨大である。「一つになろう日本」なる空疎な宣伝とは逆に、まさに〈脱原発〉か否かをめぐって国論は二分され、大勢は「脱原発」となる。「脱原発」と書けずにさまざまに類似の言葉によって独自性を表現しようする傾向は、時代の流れに取り残されるだけである。
 さて、本稿を最初に執筆し始めたのは五月上旬で、次のように書き出した。経過を確認することにもなるので、廃棄せずに書き留めておく。
 3・11から四〇日経過した四月二〇日、「朝日新聞」の社説に「脱・依存にかじを切れ」という一見では不明な見出しが付いていた。よく見ると、「原発をどうするか」という小さな見出しがその下に付いていて、さらにその下に「世論が動かしたドイツ」と大見出し。上の社説は「エネルギー需要の拡大を前提に〔した〕過去の政策からかじを切る好機である」と結ばれている。下の社説の最後に「脱原発へのドイツの挑戦を日本は大いに参考にしたい」と書いてある。ともかく不明確さを伴いながらではあるが、「脱原発」の方向が示された。
 この「社説」は特筆すべきである。なぜなら3・11の翌日に「朝日新聞」は直ちに「地震国と原発 どう共存するのか」とタイトルして「どこまで原発を増やすのか」と主張していた(竹内敬二編集委員)からである。大きな変化である。〈転換〉とまで評価できるかどうかは、今後の論調を見ないと判断できない。五月一日に、新しく主筆になった若宮啓文氏は第一声で「原発に頼らぬ社会づくりを急ぐため、自然エネルギーの開発などに国運をかけるのは夢がある」と書いた。〔三週間後には「脱原発で東北ビジョンを語れ」という見出しのコラムを書くようになった(五月二三日)。補筆〕
 この四日前「毎日新聞」は「社説」に「震災後 『低エネ』社会 日本モデルは可能だ」と見出しを付け、冒頭で「『3・11』以後、多くの日本人が『もう原発に頼るわけにはいかない』と感じたに違いない。私たちも同感だ。地震国日本が原発と共存するのは無理がある」と明記した(四月一六日)。
 日本学術会議も脱原発にむけて動き出した(「科学新聞」四月二九日号。本書、九八頁参照)。
 マスコミの主要二紙と日本学術会議が「脱原発」の方向を示したのはきわめて重要な兆候である。
 ──こう書いてからわずか三週間で冒頭に確認したように大きく事態は急変した。その早さには驚くほかない。世界的にもドイツを先頭に〈脱原発〉への転換が進みつつある。なお大きな曲折があるにせよ、〈脱原発〉はすでに世界の趨勢と言ってもよい。「朝日新聞」は五月二六日に一面トップに日米仏ロ韓独中7カ国世論調査の結果を「『原発反対』各国で拡大」の大見出しで報道した。
 もちろん、〈脱原発〉を全面的に実現することは容易ではなく、持続的で高揚する活動の展開が必要であり、〈脱原発〉の未来社会の展望を明示しなくてはならない。
 ところが、運動圏においてもマスコミでも「反原発」という言葉も同時に使われていて、二つの言葉はどこが違うのか、それほど明確になってはいない。「反原発・脱原発」と並べて書くほうがよいとか、逆に「反原発」も「脱原発」も止めて、「原発さようなら」だの「原発ゼロ」と言い出す傾向もある。
 どうしてこのような混乱が起きているのかと言えば、原発に反対する運動がなお未成熟で、社会全体の理解と合意を得ていないからである。
 商標登録とか意匠登録はあるが、言葉には特許権はない。新語も生まれるし、しかも言葉は多義的でもある。だから、誤解と逸脱を避けるために、常識が形成され、辞書が発行されている。正確・厳密に言葉を使う必要がある場合には、法律でその定義を確定することもある。
 現在の段階では、原発をどうするかについてはそれぞれの人がさまざまな思いを込めて色んな言葉を発している(いや、「原発」そのものについてさえ、「核発電」のほうがよいという意見もある。核兵器へと連想を拡げやすいというのがその理由であり、一理ある)。
 従って、私たちには、本稿の表題のように「〈脱原発の思想〉に何を盛り込むのか」と提起することが許されている。事、原発問題については、認識を深め、共通の理解を形成・確定する段階を歩んでいるところだからである(すでに内実が定まっている場合やこれまでは考えられていない内容を表現したい時には、私が〈被災生存権所得〉と造語したように別の言葉を創る必要がある)。
 本論に入るまえにもう一つ確認したほうがよい。なぜ、脱原発の〈思想〉と設定したのかである。思想とは何か、これまた難問で哲人賢者がさまざまな解答を提出している。「思想と科学」との違いや関係をめぐっての論争もくりかえし起きている。ここでは簡単に書くほかない。『広辞苑』では「思想:社会・人生に対する全体的な思考の体系」と説明されている。個別の論点・課題を扱う理論と、より広く全体性を体現している思想、という区別である。「理論家」と言われるよりも、「思想家」と呼ばれるほうが格が上であるような印象がある。『広辞苑』ではその前に「社会・人生に対する」と限定されているが、歴史や自然を加えてもよい(社会観、歴史観と社会思想、歴史思想がどう違うのかと考えてもよいが、迷路にはまり込むことは避けよう)。
 さらに次のように対比したらどうだろう。「思想に殉じる」とは書くが、「理論に殉じる」とは言わない。この説明なら、思想には〈生き方〉が深く関わっていると理解しやすくなる。この程度の違いを意識したうえで、「〈脱原発の思想〉に何を盛り込むのか」を考えることにしたい。

  4 「原発文化」からの脱却を  より抜粋

 ──「原発文化」とは何を指すのか。ここでも言葉の意味をはっきりさせなくてはならない。まずは、原発を科学の発達が生み出したプラスの産物と考えて、そのエネルギーを活用することを良しとする文化、と理解できる。もし、原発が前節で明らかにしたような欠陥を有することなく、素直にこの理解のままで済ますことができるのであれば、私たちは安んじて「原発文化」の恩恵を享受するだけでよい。だが、繰り返すまでもなく事実は逆であった。典型的には原発をめぐる「安全神話」に囚われていた。安全ではないものを「安全」と宣伝して実用化することになると、新しい問題が生じる。何とかして、事実をごまかし隠蔽する必要に迫られる。だから、「原発文化」は肯定的に受容してはならず、むしろ鋭く否定的に対決しなくてはならない反面教師である。

 ──以上に略記した「原発文化」の問題は、前に学んだ村田氏の見解ともかなりの部分で重なり合う。一九九〇年代後半にスイス大使を務め現在は地球システム・倫理学会理事の村田氏は、原子力の問題を「責任感、正義感、倫理観の『三カン欠如』に起因する日本病」(七頁)だと切開し、前記の『朝日ジャーナル』特集号では、3・11を「日本のみならず世界に人間の生き方の変革を迫る『母なる大地』の警告だと考えられる」(五五頁)と捉え、「力の『父性文化』を、和の『母性文化』へ転換する」ことが課題だと提起している。村田氏は、アーノルド・トインビーの言葉──「歴史の流れは平等と統一に向かっている」を指針として引用している(さらに後述)。

 ──その次の時代──六〇年代は、最初に安保闘争が盛り上がり、ソ連邦への懐疑と批判を突き出した新左翼運動が台頭し、後半には、学生反乱が社会を表層的ではあったが揺り動かした。学生反乱を主要に体現した全共闘運動では科学への懐疑と不信が基調となった。
 そして、二一世紀も一〇年を経て、ようやく今や、〈科学の理性的活用〉を求める段階に到達したのではないか。正確に言えば、その段階に進まなくてはいけない。
 全共闘運動のなかには、科学への懐疑と不信を強調するあまり、「大学解体」を叫び、絶望と暴力に陥没する傾向も生み出し、その傾向への反発が逆に日本共産党の影響下で「学問の自由を守れ」として「科学盲信」傾向──原発への甘い評価を帰結──を助長する悪循環を作りだしてもいた。
 社会の変革は、それまではまったく存在しなかったものが、突然出現するという形で実現することはない。支配的体制と大勢からは無視され、ある場合には弾圧されることもある先駆的努力の営々たる継続に支えられ、方向を指示されて初めて次の局面が到来する。そこに「既成性と対決する前衛」(梅本克己)の歴史的使命がある。しっかり根をはる樹木にだけ豊穣な果実は実る。
 全共闘運動のなかには、単なる科学への反発ではなく、科学に立脚した地道な活動も育まれていた。公害を探究した宇井純が先駆的に切り開いてきた「自主講座」であり、先に学んだ脱原発の思想的先駆者高木仁三郎の業績などである。彼らの先駆的努力の意義を明確にするためにも、時代的背景に立ち返ることにしたのである。宮沢賢治の科学観は、全共闘の「反科学主義」とは異なる。ここにも「反原発」ではなく〈脱原発〉の方向性と重なるものがある。

 ──原発が「原発文化」を不可避に付随させているのであれば、話を「原発文化」への批判と拡げることは許されるべきだし、そのほうがよいのではないか。
 次の喩えが話を分かりやすくする。愚鈍で横暴な君主が存在するとする。そこで、その暴君を引きずり降ろそうと相談することになった。その手段についても議論百出となるが、それは脇に置いて、目指すべき方向について意見が割れる。賢い名君に変えればよいのか、それとも君主制廃止まで展望したほうがよいのか。〈人権〉の確立へと歩む人類は後者を選択した。