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ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点  書評:黒田宣代

誕生から60年、「ヤマギシ会」は、今

「ヤマギシ会」が今もなお、「ヤマギシ村」という実験地を存続させ、その中で村人が集団生活を営んでいるという事実は画期的なことである。

 世界には、イスラエルの「キブツ」やアメリカの「アーミッシュ」のように様々な共同体が存在する。そして、日本にも過去に、武者小路実篤が創った「新しき村」など、共同体建設への試みは少なからず存在してきた。共同体建設とは、いわば「ユートピア」への希求である。
 本書は、こうした「ユートピア」を探し求めてその地を創造する人びとが、実際に我が国、日本に現在も存在していることを著した、いわばドキュメント作品である。おそらく、著者、村岡到氏は、その生活に遭遇したことで、驚き、感動し、その地で暮らす人々を描かずにはいられない衝動が走ったのだろう。
 村岡氏がペンをとらずにはいられなかった「ユートピア」とは、通称「ヤマギシ会」と呼ばれる共同体である。「ヤマギシ会」は、一言で説明すれば、財布を一つにした集団生活を半世紀以上にわたり実践し、「農事組合法人」として存続している割合大きな集団である。全国に二六カ所・一五〇〇人が参加しているという。特異な生活形態から、おのずと様々な問題――男女・親子・家族関係や教育・仕事・権力など――が生じているものの、常に「研鑽」という話し合いの場でその解決策を探っているという。
 ところで、「ヤマギシ会」を記した図書は、これまでも少なからず出版されてきた。例えば、脱会者がこれまでの生活を振り返っての日記風のものや、ルポライターが「ヤマギシ会」の裏の顔をクローズアップし、終始、非難の嵐で書き綴られたものなど三百数十冊に及ぶ。「ヤマギシ会」自身の出版物を除けば、これまでの図書は総じて「ヤマギシ会」を酷評するものが多いと言える。
 こうした中で、本書はどちらかといえば、「ヤマギシ会」にエールを贈る姿勢に立つ著書と言え、近年、出版されたヤマギシ会関連図書とは一線を画す。コインに表と裏があるように、個人や集団においては何に照射するかによって酷評と称賛は入り混じる。本書の意義は、これまで世に出た作品とは違った視座を持つところに意味があるのではないかと思われる。
 本書の構成は、ユートピアの大切さ/安心元気な高齢者と子ども楽園村/ヤマギシ会の現状/時代の要請に応えて急成長/〈学育〉の挑戦とその弱点/創成期の苦闘/奇人・山岸巳代蔵の独創性/成長が招いた「逆風」/生存権保障社会の実現/ユートピア建設の課題と困難/青年たちの声、という各章からなっている。
 私は今から二〇年ほど前に「ヤマギシ会」を研究対象としてフィールドワークを試みたことがある。当時、大学院生であった私は「日本の共同体」の存在に興味があり、三重県、和歌山県、熊本県にある「ヤマギシ村」を訪ね、そこに住む人々の生活や意識を調査した。当時の「ヤマギシ会」は、「お金の要らない村」あるいは、「幸福一大家族」と言ったキャッチフレーズとともに、メディアにもよく取り上げられ好評を受けていた。しかし、「オウム真理教」や「統一教会」などの宗教団体による刑事事件や詐欺的事件がニュースとなって、世間を騒がせると、一転して「ヤマギシ会」も上述した新々宗教団体と同一視され、「マインドコントロール」や「カルト教団」というキーワードのもとに、「ヤマギシ会」バッシングが始まっていった。私は、二〇〇六年に『「ヤマギシ会」と家族』(慧文社)を著した。
 「ヤマギシ会」は宗教団体ではない。上述したように「農事組合法人」としての集団である。しかしながら、独特の哲学(理念)をベースとした生活形態を持ち、日々「研鑽」を重ねていくという姿勢が宗教的な団体と変わらないとして誤解を生んでいる。
 本書は、「ヤマギシ会」が誕生から六〇年経った今も、顕在し、多くのバッシングにさらされたにもかかわらず、村人がしっかり生活しているということを証明した。これまで世界中に創られた多くの共同体が、いとも簡単に自滅し、その跡形もないほどに忘れ去られていったという歴史の中で、「ヤマギシ会」が今もなお、「ヤマギシ村」という実顕地を存続させ、その中で村人が集団生活を営んでいるという事実は画期的なことである。
 しかし、私たち自身の生活の中に理想と現実があるように、「ユートピア」的な世界を創りあげようと立ち上がった「ヤマギシ会」にも、例外なく称賛と酷評は存在する。思想的に受け入れられない、あるいは賛同するといった賛否両論は、「ヤマギシ会」がこれからも共同体として存続していくなかで、批判され、あるいは受容されつつ、日々「研鑽」されていく運命にある。
 村岡氏は、五〇年に及ぶ社会主義をめざす実践を支えた思想に立って、本書を書き綴ったと言える。それが著者の色である。そしてまた、本書は、村岡氏が、「ヤマギシ会」と出会い、付き合って(関わって)きた時間を考察すると、ともすれば、長所しか見えてこない蜜月期に書かれたものであるといっても過言ではないだろう。ハネムーン旅行から帰国したカップルが将来に希望をもち、相手を褒めあうように、著者の視点が「ヤマギシ会」を恋人のように見つめているような雰囲気が随所に感じられる。したがって、本書を読んだ「ヤマギシ会」の脱会者や一部のセミナー参加者に一抹の不安や違和感を抱く人びとが現れることは禁じ得ない。どう読むかは、読者自身の思想にゆだねられることだろう。
 私が本書に出会ったとき、表紙のイラスト、色使い、デザインから、今にもその表紙に陽が差し込み、新鮮で澄みきった空気とともに、のどかで温かい、どこか牧歌的なイメージが湧き起こったのを覚えている。装丁は著者の妻だという。これが、著者である村岡氏の「ユートピア」としての現在の「ヤマギシ会」への「まなざし」なのかもしれない。
 本書は、「ヤマギシ会」の生活の実態と理念を明らかにし、それを「ユートピアの模索」として考察している。その努力は、現代日本の政治・経済・社会づくりを振り返る意味で有意義であると言えるだろう。現代に生きる共同体の「存在証明」を知る上で考えさせられる一冊である。
黒田宣代『「ヤマギシ会」と家族』著者
「図書新聞」2013.6.22号に掲載

『ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点』へ

ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点  みなさまからのおたより

読者ハガキ返信やおたよりから
他にもブログ「探理夢到」にいただいています。
『プランB』42号にも「ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点』を読んで として掲載されています。

河野法子さま 七一歳 主婦
 私の娘(現在四二歳)は、もう二〇年も前に、一浪して大学に入学し、通学しているのかと思っていたら、ヤマギシの活動をしていて、やがて青年参画しました。二年後に私も「特講」を受け、仕事を辞め、一〇年くらい活動しました。
 ですから、この本に登場する人物も数人は懐かしい名前でした。娘は鈴鹿グループに行き、鈴鹿で生活しています。私は、今は「伊勢白山道」の本とブログを読みながら、生きる指針にしています。
 この本を読んだ感想としては、特にヤマギシをほめたたえているわけでもなく、外から客観的に素直にまっすぐ観察していて、とても読みやすく、一気に読ませていただきました。改めて、ヤマギシが継続していることを確認できたしだいです。

黒岩秩子さま(新潟県)社会福祉法人桐鈴会理事長
とっても面白かった。
 村岡さんの考え方そのものに共感を持ってしまったので、とても読みやすく、ヤマギシ会に対しての期待や、問題点などを自分の中で整理するのにもとても役立ちました。
 私の弟がヤマギシに参画しており、この本の中にも登場しています。

益 洋一さま(奈良県)
昔から求めていたものが書かれていた。
今は田舎での一人暮らしだが気持ちが広がった。一気に読めた。すばらしい本でした。
村岡氏は抜け目のない人物のよう。

O・Jさま(兵庫県)保育士
村岡さんが公平中立にヤマギシをとらえようとされていることを感じました。
私は子ども時代からキブツや実篤の村に憧れていたので、ヤマギシを知ってとても驚いたし、すごいと思いました。
知識にしばられずにあらゆることを考えてやってみるという生き方を、50歳になって少しでもやっていきたいと思っています。
ヤマギシの村人さんたちにも力をもらっています。
村岡さん、特講やってみて下さいね。

渡辺熊雄、操様より 春日山
村岡到様
「春よ来い。早く来い」という今頃です。
楽しみにお待ち致しておりました貴著『ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点』をお贈りくださいましてほんとうにうれしく拝読させて戴いています。
 山岸巳代蔵先生が、特講を受けなくても良い大仕事が出来る人もいる、とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりの村岡さんですね。
 第一章にヤマギシの老蘇達と子ども達、太陽の家の子ら、楽園村のことを書かれておられていることに、村岡様の生き方と人柄を感じました。
 また、私達夫婦のことを「春日山で矍鑠として生活している」とのお言葉、大変恐縮しております。この点も特講を受けておられないが、良い持ち味のお人柄だと思いました。
 私達夫婦は、特講で全人幸福社会づくりに命をかけてやって来ましたが、この道六十年近くになって、若人が育って来ました。おかげで、二人共「生きてるだけで良い」と思っております。
 御著書の「第4章 〈学育〉の挑戦とその弱点」を読みました。前からこの点について大いに研鑽の必要を感じていました。私達は「出発点は実践である」とか、「研鑽のあるところ行きづまりなし」の姿勢でやっていこうと今もしていますが。研鑽不足で後輩(一体の親子兄弟)には申しわけなく思っております。私達夫婦の子供や孫はその中にあっても、現在もヤマギシ会の経営やらその他の仕事にも情熱をもってやっていますから、必ず一人ひとりに合った真実の仕事をしてくれると確信しています。
 これからも宜しく御導きくださいませ。鶴見俊輔様と渡辺一衛様には、この本を昨日郵便で贈呈させて戴きました。ありがとうございました。
 かつて実顕地を出ていった人達にもこの本をお贈りして一緒に全人幸福社会目指してやっていこうと思っております。御力添えありがとうございました。
 機会がありましたら特講にもお出でくださいませ。東日本大震災の人達とも、他の悲しみを自分の悲しみと思い、自分の喜びは他の喜びとなるよう一つから発し、一つになり合っていく村づくりをやらせて戴きます。取急ぎお礼まで。
村岡様の御健康と御発展をお祈り致します。

黒田宣代さまより
 前 略
 このたびは、玉著『ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点』と『親鸞・ウェーバー・社会主義』などを贈って頂き、誠にありがとうございます。
 表紙の色やデザインがとても魅惑的で本の中に吸い込まれそうです。
 頂いた三冊のご著書を愛読させていただきました。村岡様のエネルギッシュさと知性、さらにその情報力に感銘した次第です。
 「ヤマギシ会の到達点」というタイトルで出版して下さったこと、実はとても感謝しております。私は、『「ヤマギシ会」と家族』を書いた際に、研究者という立場から、ヤマギシ会を擁護するような表現は極力避けて参りました。しかし、実は、村岡様の著書と同様の視点を、私自身は持っております。したがって、このように暖かなまなざしで記述された著作に出会い、心がホッとした思いでした。
 また、登場人物にもなつかしい方々(私自身が調査でお世話になった)のお名前も出てきて、学生時代をふと思い出しました。
 私は今、中学校や短大で教えています。『「ヤマギシ会」と家族』は教科書として使うことを意図していたのですが、その場がなかなかなく、休眠状態ですが、いつかは若い人たちに、日本にもイスラエルのキブツのような共同体が存在していることを知らせる必要があると考えております。
 『親鸞・ウェーバー・社会主義』について。読み終えて直ぐに思ったことは、一〇年前に出会っていれば、私の研究にも別の光を射し込んで頂けたのかもしれないということです。でも、今となってはご著書にある「諦観」の境地と言ったところでしょうか?
 最後になりましたが、村岡様のさらなる御活躍をお祈り申し上げます。

『ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点』へ