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友愛社会をめざす──〈活憲左派〉の展望  村岡 到

 資本制経済にとって友愛は必ずしも好ましい価値観ではない。自由や平等は利潤追求と矛盾しないが、友愛とは時には衝突しかねない。だから友愛はうとまれ、忌避されてきたが、逆にいえば「そこには資本制経済の欠陥を超える契機が内在している」として、現行憲法を活用して友愛社会日本をめざす展望を示す。──深津真澄氏書評より

友愛社会をめざす──〈活憲左派〉の展望  村岡 到
2013年8月23日刊行
四六判 222頁 2000円+税
ISBN978-4-904350-28-7 C0036

目 次
序 章──〈活憲左派〉の出発
創語録──左翼の通説を突破する
平和の創造/愛郷心/日本平和隊/非暴力抵抗権/憲法一六八条/労農市民/則法革命/複数前衛党/多数尊重制/歪曲民主政/立候補権/清廉な官僚制/
法拠統治/友愛労働/愛ある労働/生存権所得/生活カード制/協議経済/誇競=誇りをめぐる競争/複合史観/党主政/土地の自治体所有化/農業保護税/
農作業従事給付金/農休、農役
回 想──社会主義五〇年の古稀

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 序 章──〈活憲左派〉の出発

 昨年一二月一四日投開票の総選挙の結果は、①自民党・公明党の「圧勝」となった。自公で改選議席から一減だが、三二五議席で三分の二を維持した。②日本共産党は八議席から二一議席に躍進し、議案提案権を得た(得票は比例区で六〇六万票・得票率一一%)。③投票率は戦後最低だった前回よりも七ポイント下げて五二%に留まった。④沖縄では「オール沖縄」が四選挙区すべてで自民党に勝利した。⑤石原慎太郎氏や田母神俊雄氏が落選し、次世代の党が惨敗した。この五点が、重要性の順位は別として、今度の総選挙の重大な特徴である。
 日本共産党の志位和夫委員長は、開票直後のテレビでの記者会見で「感無量です」と心情を吐露した。確かに、今回の「画期的躍進」は一九九六年の総選挙いらいであり、彼が委員長となったのは二〇〇〇年だから、初めて誇るに足る戦績を勝ち取った。だから、個人的感傷としては正直ではある。だが、まさにこの一言に、共産党の特徴がよく表れている。テレビ報道の一場面で判断してはいけないと注意する人には、投票翌日の常任幹部会の声明を読むことを勧める。そこには、「画期的躍進」は二度出てくるが、自公が三分の二を占めた事実すら書かれていない。共産党にとっては、全体の政局の動向よりも自分の党の事情=消長のほうが重要なのである。今年一月二〇日に開かれた第三回中央委員会総会の「志位委員長の結語」では折角「日本の政治史の流れのなかで、〔共産党の〕躍進の政治的意義を深くつかむ」と節を立てながら、「一九六一年に綱領路線を確立して以来」と話す。六〇年安保闘争には触れない。これでは、「日本の政治史」ではなく、共産党の歩みである。
 共産党の特徴をよく示す場面だから、最初にあげたのだが、私はそのことにばかり目を向けているわけではない。冒頭にも二番目に確認しているように、共産党の躍進はきわめて重要な、民意の表現である。共産党自身の宣伝用語を使えば「自共対決」が示されたのである。セクト主義的宣伝用語の乱発は避けなくてはならないが、昨年一二月二四日、首班指名を終えた安倍晋三首相が共産党の衆議院控室を訪ねて、「『自共対決』でやりましょう」と山下芳生書記局長に相槌を打つほどである(「赤旗」一二月二五日)。
 総選挙の結果についてさまざまな論評が出されているが、共産党の躍進にまったく触れないものやほとんど言及しない傾向が少なくない(低投票率、沖縄の勝利についても触れない)。共産党の躍進を素直に認めることができないようでは、今後の日本の政治についてまともに分析したり、いずれの立場に立つにしてもしっかりした展望を描くことはできない。
 共産党はどういう政党なのか、その実態と内実を知る必要がある。
 私がどういう立場から共産党を捉えているのかをはっきりさせよう。
 私は、一九六〇年の安保闘争に高校生の時にデモに参加していらい、新左翼の労働者活動家として生きてきたが、最初に出会った、政党の党員は、共産党の高校教師であった。真面目な人だった。彼にその青年組織の民青に誘われたが、私は全学連を主導していた中核派に接近して上京し、その労働者組織の同盟員となった。この党派は「反帝(国主義)・反スタ(ーリン主義)」を主唱し、「社共(社会党と共産党)に代わる前衛党」をめざしていたから、共産党とは激しく敵対していた。
 私にとって転機は、一九七五年に第四インターに加盟したことにあった。七八年にその機関紙「世界革命」の編集部で働くようになり、最初に手掛けたのが共産党批判であった。上田耕一郎の『先進国革命の理論』(大月書店、一九七三年)を一読してショックを受けた。以後、私は「共産党への内在的批判」と「共産党との対話」を提起するようになった。八〇年に政治グループ稲妻なるごく小さなグループを創り、この年に『スターリン主義批判の現段階』を刊行した。
 以後、私は一貫してこの立場に立って、共産党を観察し批判してきた。
 一九八四年には『朝日ジャーナル』に掲載した拙論「不破委員長と上田副委員長の奇妙な自己批判の意味」などに対して、「奇妙な邪推の羅列」なる紙面四分の一の大きな「反論」が「赤旗」に掲載された(二月二五日)。同年に開かれた共産党の赤旗まつりで、トップの宮本顕治が私のことを「あのトロ〔ツキスト〕あがり」と評した。「職業的な反共文筆家」ともレッテル貼りされた(「赤旗」八八年七月八日)。一九九〇年までは何度か取り上げられたが、この四半世紀はまったく無視している。私は、二〇〇三年に『不破哲三との対話』を著した。だが、何の反応も起きなかった。
 ただ一人かすかな接点があった上田耕一郎からは、二〇〇六年に年賀状(本書、一〇一頁)に続き、共産党の役職を退いたという「退任の挨拶」が届いた。
 共産党の弱点を暴くことにではなく、日本政治の現実が提起している、共通の問題・難題に解答と活路を見出すことこそが求められている。だから、共産党への批判と同時に、取り上げた問題についての私なりの見解を提示することにも努めた(本書では、学生運動との関連は取り上げない)。
 このような問題意識によって、この小著は次のような構成となる。
 第Ⅰ部 日本政治と日本共産党
 第Ⅱ部 日本共産党の理論的内実
 第Ⅲ部 不破哲三氏との対話を求めて
 付 録 石橋湛山に学ぶ  書評 三つ
 付録に「石橋湛山に学ぶ」と書評を入れたのは、私の関心が共産党にだけあるのではなく、広く日本の政治にも向かっていること、とくに「小日本主義」に代表される、保守政治家のなかの良質な人物からも学ぶことが大切だと考えるからである。この基本的な姿勢によって、近年、私は鳩山友紀夫氏が主唱する「友愛外交」の大切さを学ぶことができた。
 政局は、安倍晋三政権によって壊憲をはじめ危険な方向に向かっている。この反動と対決する市民活動は急速に高齢化しつつある。市民活動の活性化のためにこそ、共産党の脱皮が強く求められている、と私は考える。そのヒントをいくらかでも掴み取っていただくことに、小著刊行の意味はある。論争を呼び起こすことができれば、これに勝る喜びはない。ぜひとも批判を寄せていただきたい。

 友愛社会をめざす 目 次
序 章──〈活憲左派〉の出発
創語録──左翼の通説を突破する
はじめに
 1─1 平和の創造
 1─2 愛郷心
 1─3 日本平和隊
 1─4 非暴力抵抗権
 2─1 憲法一六八条
 2─2 労農市民
 2─3 則法革命
 2─4 複数前衛党 
 2─5 多数尊重制
 3─1 歪曲民主政
 3─2 立候補権
 3─3 清廉な官僚制
 3─4 法拠統治  
 4─1 友愛労働
 4─2 愛ある労働
 5─1 生存権所得
 5─2 生活カード制
 6─1 協議経済
 6─2 誇競=誇りをめぐる競争
 7─1 複合史観
 7─2 党主政
 8─1 土地の自治体所有化
 8─2 農業保護税
 8─3 農休、農作業従事給付金、農役 
 コラム 真理は中間に:フィヒテ
     無恥な知識:梅本克己
回 想──社会主義五〇年の古稀
 二〇歳で上京、東大分院に就職
 高校二年で六〇年安保闘争
 一九六九年10・21国際反戦デーで起訴
 第四インターに加盟、「世界革命」編集部に
 梅本克己さんとの出会い
 政治グループ稲妻の創成
 日本共産党との歪められた対話
 鈴木市蔵ら「ソ連派」との出会い
 社会主義理論学会の創成とフォーラム90s
 オルタ・フォーラムQの時期
 社会主義経済学会と田中雄三さん
 広西元信さんとの出会い
 尾高朝雄との決定的な出会い
 ロゴスがスタート
 還暦を迎えて
 種々のシンポジウムの開催
 日本共産党幹部とのわずかな接点
 日本科学者会議による入会拒否
 外国訪問の記録
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 エピローグ
あとがき    
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