ロゴスの本

『贈り合いの経済 私のなかのヤマギシ会』 佐川清和

山岸巳代蔵が掲げた「金の要らない仲良い楽しい村」
の実現をめざしたヤマギシ会に参画して44年。
その経験を通して〈贈り合いの経済〉を構想する。

佐川清和 著『贈り合いの経済 私のなかのヤマギシ会』
2014年8月8日刊行
A5判 284頁 2500円+税
ISBN978-4-904350-32-4 C0030

目 次
序 章 『社会と自分──漱石自選講演集』から
第1章 贈り合いの経済・序
 一 自然と人為
 二 贈り合いの経済
第2章 個と全体(組織)との背反をこえて
 一 機構・制度としてのイズム
 二 吉本隆明氏との対話
 三 「怒り」と「研鑽」
第3章 山岸会との出会い
 一 参画の動機
 二 思慮ある真の百姓──杉本さんの思い出
 三 雑 感
付章 試論  報道にみる山岸会事件
参照文献一覧
あとがき

表紙写真:井口義友(別海実顕地)

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 まえがき

 この著書は、自分が現在住んでいる、通称「財布一つの村」「金の要らない仲良い楽しい村」と呼ばれるヤマギシズム生活実顕地での体験とそこで日々話題にされてきた話をもとに出来上がったものだ。一日の鶏や豚や野菜作りなどの世話を終えた夕食後、夜八時頃から連日各種研鑽会が設けられている。村の運営面、事業面、衣食住の生活面、育児学育面などと共に、人間らしい本当の生き方をしたいとか真の幸福に生きたいとする万人に通じた幸福社会実現を究明し合う「幸福研鑽会」も用意されている。
 そこで話題にされたテーマや心にひびいた発言、不消化のまま疑問として残ったわだかまりや自分なりの理解などを、忘れないうちにそのつど書きとめておいた。そうしておいてヤマギシ会の機関紙「けんさん」等のコラム記事のような場で毎月吐きだしては気持を晴れやかにしてきた。四百詰原稿用紙三、四枚を自分の心の中がスッキリ洗われるまで何度も推敲しては書き上げた。でもまた翌月になると、澱のようなものが溜まってくるのでまた吐きだすことをくり返してきた。いつしか、そんな反復の湧きあがる心の体験で形づくられ、繋ぎあわせただけの自分のすがたになぜか癒やされてもきた。
 だからそうした自分よりの切実な欲求ばかりが先立つ、自分が自分に問いかけるようなかたちで書き綴ってきたものに対して、いつ頃からか「共鳴したり、よく分からなかったり」といった励ましの声が未知の人からも寄せられるようになった時、意外だった。やっと自分の思いが通じたというよりも、他の人の切実な思いが少しは入ってきたのかなぁと嬉しかった。同時に、はっきりと人に分かってもらうには犠牲や痛い目に合うことがもっと必要ではないのかという考えにも縛られてきた。
 ところがある日の研鑽会で、次のような一節を皆で研鑽したことがある。
 「次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません」(『ヤマギシズム社会の実態』)。
 そこで、甘えるとは人の心からの親切などに対して「ありがとう」と感謝したり、お礼の品を届けたり、お金などの見返りで、それでこと足れりと平然とその行為を帳消しにしてしまうことだと研鑽した。ギクッとした。何と自分はうかつにも今まで、甘い考えで人の心からの行為を無造作に取り切ってきたことか! 自分よりの何か観念づけたもので、自分を護り振る舞う自分のすがたを見た。自分よりの慣れ親しんだ甘い考えの外に、人と人との繋がりの、切ることの出来ない事実その中で生きているもう一人の自分を見出した思いだった。
 それにしても冒頭に記した「『金の要らない仲良い楽しい村』と呼ばれるヤマギシズム生活実顕地」とは、常識外れの人を食ったような奇異な感じを抱く読者もおられるかもしれない。「金の要る社会」と「金の要らない社会」とは、これ如何に? こんな禅問答・珍問答をヤマギシズム生活実顕地という歴史を刻んだ「時間・空間」の中でくり返しながら歳月を重ねてきたような気がする。
 そして今、序章にも述べた、「と」に立つ生き方、「と」からの出発に人間社会の未来を託していきたいと考えている。
 それは、こういうことだ。
 例えば自分らが日々直面するテーマとして、「金の要る社会」と「金の要らない社会」との接点をどのような位置づけにするかによって、実顕地の暮らしが豊かな方向に向かうのか、生活の無駄が省けるだけの単なる共同体に成りはてるかの岐路に立たされる場面が多々ある。何となれば一般的・現実的傾向として、崇高な理念そのものによる感化よりも日常行動から来る感化の方が影響が大きいといえるからである。つまり目標理念を研鑽すること、目標理念の日常化が必要とされる。日々の研鑽力が試されるゆえんである。
 このことは、自然と人為、人と人、組織と個人、男と女、生と死、信じることと信じないこと等々、すべての事象に当てはまりそうだ。要は、異なる二つのものが接する場面で必然生じる「隔て」を、隔てなき「双方が溶け合った一つのもの・仲良し・調和・一体・一致・和解・合一・真正一致・合性・適合・保ち合い」の方向へと、どちらの立場も通さずに解き放していく実動行為へと一歩踏み出すことを意味する。
 例えば養鶏飼育係一年生の頃、毎日日課のように自分が担当している鶏舎前の通路掃除に取り組んでいた。すると自分と他の人の担当する通路の接するところに必然吹き寄せられたゴミの壁がつくられた。しかしそこのゴミまで自ら進んで掃き寄せる実動行為にまでは至らなかった。何故ならどこかに相手がつくったものだとする心の突っ張り合いを押し隠していたからだ。自己革命が成されているか否かが問われるところである。
 仲良しとか一体という理想実現は、実は出発点にかかっており、出発点は描くだけでなく、まさに心を寄せる「実践」であることを思い知らされたことだった。
 ヤマギシ会の自然と人為の調和を基調とした思想提案創設者・山岸巳代蔵は、当初、戦後の日本の食糧不足を解消するために、それまでの「稲と鶏」の個々別々の相互関係を農家の実際と一体に結びつけた形態に改組したものを、「農業養鶏」と命名して発表した。そして永久に皆と共に繁栄していくためには、「鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神」こそ必要で欠くことの出来ない幸福社会実現の原理であるとした。
 自分らもまたこうした繋がりの、切ることの出来ない「と」に立つ生き方、「と」からの出発に心を託するのだ。
 ヤマギシ会運動史の中での一時代を記録する資料として残せたらなぁとの前々からの念いが、ここに一気に実現した。出版状況がとても低調ななかで、本書の出版を引き受けていただいた、ロゴスの村岡到氏に感謝する。
  二〇一四年六月                               佐川清和