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ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点  村岡 到

 偏見を捨て、まず知る→ユートピアの先駆例と分かる
 お金のためではない働き方を実現 お金を使わない〈無所有〉の生活
 農業を土台とした共同生活を実現 高齢者の生活・医療を完全に保障

ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点
2013年3月15日刊行
四六判 230頁 1800円+税
ISBN978-4-904350-27-0 C0030

島田裕巳氏(宗教学者)推薦!
 ヤマギシ会は健在だった。
 日本一の農業共同体、その秘密に迫る。

目 次
まえがき──ユートピアの大切さ
第1章 安心元気な高齢者と子ども楽園村
第2章 ヤマギシ会の現状
第3章 時代の要請に応えて急成長
第4章 〈学育〉の挑戦とその弱点
第5章 創成期の苦闘
第6章 奇人・山岸巳代蔵の独創性
第7章 成長が招いた「逆風」
第8章 生存権保障社会の実現
第9章 ユートピア建設の課題と困難
第10章 エピローグ──青年たちの声
あとがき

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 まえがき──ユートピアの大切さ

 〈ユートピア〉は死語になりかけていると言ってよいかも知れない。もう半世紀前ということになるが、一九六〇年代にはNHKで「夢で会いましょう」なるタイトルの番組が放映され、人気を博していた。高度経済成長の始まりとともに、ロマンチストは社会変革=革命の夢を追い、堅実な青年はマイホームの建設を夢見た。一九七〇年代には「ここ二、三年のユートピア文献は、……一種の花ざかりである」と評されていた(香内信子「日本のユートピア文献解題」)。しかし、今や世界的な経済後退のなかで閉塞感だけが深まり、「ユートピア」と言ってもだれも振り向かないかのようである。だが、その趨勢のままに廃語してしまってよいのだろうか。
 昨年(二〇一一年)の3・11東日本原発震災の勃発によって、日本の社会は大きな衝撃を受け、さまざまな分野、局面で根本的な変化を迫られている。〈脱原発〉が国民世論の圧倒的な声になったのもその変化の一端である。しかし、政治の混迷は甚だしく、政党の溶解が目を覆わんばかりに、日々、マスコミを賑わしている。「閉塞」が時代を表現する標語となっている。
 そうであればこそ、逆説的ながら、半世紀前とは異なる質をもって〈ユートピア〉を夢見ることも大切ではないであろうか。
 「科学万能」に慣れきったことが、3・11を帰結する重要な要因の一つだとしたら、科学への根底的な反省が必要である。「何をしてもこの閉塞感あふれる詰まらない現状を変えることはできない」と諦めるまえに、もう一度、明日への希望の契機が身の回りに、あるいは自分の頭のなかに隠れているのではと想像してもよいのではないか。私たちの前の時代の先駆者は、どんな未来を空想していたのか、そこに現在にも通じる思考のヒントがあるかもしれない。
 マルクス主義やこの理論を信奉してきた左翼は、「科学」偏重によって、「ユートピア」を敵視して頑なな思考に陥り、活力を枯渇してきた。そうであるならば、〈ユートピア〉を取り戻すことによって、この閉塞状況を突破する手がかりを掴めるのではないだろうか。
 もちろん、その際、注意しなくてはならないこともある。深く考えることのない思いつきを強調したり、過去のユートピアンの片言隻句を取り出してくるだけでは、何度目かの悲劇=喜劇を繰り返すだけに終始する。歴史の失敗に学びその教訓を掴みとることと合わせて、〈ユートピア〉を再考・再興することこそが求められている。
 〈ユートピア〉については、こんな言葉が残されている。ブダペストで生まれたカール・マンハイムは、ナチスによってドイツを追われた四年前、一九二九年に著わした『イデオロギーとユートピア』(未来社、一九六八年)の巻末で、「ユートピアのさまざまな形態を放棄するにつれて、歴史を創ろうとする意志を失い、それとともに歴史を洞察する力をなくしてしまう」と結論した。現実に深く立脚することのない、ユートピアへの過度の願望が招く惨劇も数多いとはいえ、やはり想起するにたる言葉である。
 折しも、今年六月に、経済学者の大内秀明氏が『ウィリアム・モリスのマルクス主義』というタイトルの新書を著わした。社会党系の著名な経済学者の提起だけに、話題となりつつある。きわめて時機にフィットした提起と言える。モリスの「芸術社会主義」は、干からびた、破産した旧来の「社会主義像」を突破する糸口を秘めているからである。
 この簡単な説明で〈ユートピア〉の大切さについてはいくらかは理解していただけたかも知れない。だが、どうしてそれが「ヤマギシ会」と繋がるのか。
 ヤマギシ会は、或る世代、あるいは或る傾向のなかでは知られた存在である。マスコミの為にする悪宣伝によって世間的には否定的評価が勝っているかも知れない。閉鎖的なカルト集団であるかの記憶を持っている人も少なくない。最近ではマスコミに登場することはほとんどない。わずかに月刊誌『サライ』や『クロワッサン・プレミアム』に「ヤマギシのネットストア」の一頁の広告が掲載されている(ともに二〇一三年一月号)。
 だが、ヤマギシ会は半世紀前一九六二年には、フジテレビで「あるユートピアン」(三月)、NHK教育テレビでも「日本のユートピア集団」(一一月)というタイトルで全国放映され、話題になった。一九九六年に廃刊された『思想の科学』というグループの周辺で、「ユートピアの会」が一九六〇年代に活動していたが、その発足の研究会でテーマとなったのはヤマギシ会であり、報告者は哲学者の鶴見俊輔氏であった。さらにそこにヤマギシ会からも中心的メンバー二人が参加していた(この渡辺熊雄・操夫婦は今も、ヤマギシ会の春日山で矍鑠として生活している)。一九七一年に刊行された、水津彦雄の『日本のユートピア』(太平出版社)でもその一つとして章を立てられた。二年後に刊行された『日本ユートピア学事始』(ユートピアの会編集、河出書房新社)でも取りあげられ、ヤマギシ会のメンバーの論文も収録されている。
 だから、ユートピアとヤマギシ会を結びつけるのはこじつけでも何でもない。根拠のある話なのである。
 さらに、ヤマギシ会を取りあげることは、前記の諸著に「日本のユートピア」と冠されていることでも分かるように、関心と問題意識の方向を日本に土着するものへと向かわせる。その先駆は、ロシア革命の翌年、米騒動の年、一九一八年に武者小路実篤によって創始された「新しき村」である。トルストイを好む白樺派の作家というだけではなく、実篤は〈ユートピア〉を実現しようとした。そこにも学ぶべき何かがあるはずである。
 最後に、私の姿勢について明らかにしておきたい。ヤマギシ会に関連した或る発言を引用する。
 「こういう理想をもつことは児戯に類するものではない。これを棒で叩くように評することは、子供を失って泣いている人に『泣いたとて死んだ子供は帰らない』と冷酷な理論でせめたてる非人情と似ている。文化人はその言論を商品として売り、民衆の動きを材料にして高みの見物もできるが、その家の回りから日常生活を通じて人間が社会的な動物として相互扶助する活動を案外軽視してはいないか」。
 これは、「日刊農業新聞」の「社説」からで、書かれたのは一九五九年八月一九日である。引用の前には「一五日午後の山岸会の『真相発表講演会』を聞いた」とある。本書第5章で取りあげる、ヤマギシ会が引き起こした或る事件についての、東京・千代田公会堂で開催された「真相発表会」を聞いての論評である。「こういう理想」とは、この集会で語られたヤマギシ会が目指す夢のことである。「社説」は、「このまじめな熱意と思想を総合的な一貫した国民思想体系にもりあげる哲学と行動を示すこと、これがその批判の前提ではなかろうか」と結ばれている。
 私のこの小さな本は、あらかじめヤマギシ会を「批判」することを目的にはしていない。仮に批判的に言及することがあるとしても、その場合の姿勢はこの「社説」のようでありたいと考えている。
 恥ずかしいことに、私は「日刊農業新聞」の存在すら知らないが、半世紀以上も前に、このような卓見が示されていたのに、この長い年月、日本の社会運動、政治運動、あるいは理論活動は、「総合的な一貫した国民思想体系」の一端でも創り出すことができたのであろうか。私自身は、一九五九年にはまだ高校生だったが、翌年の六〇年安保闘争いらい、この種の活動に人生をかけて来た一人として、深い反省をさらに迫られる。
 この反省の一つとして、或ることをきっかけにヤマギシ会への関心が湧き上がり、困難を超えてそこに結集する人たちに接近することになり、そして学ぶことができた。
 だから、私は本書で、ヤマギシ会の実態とその理念について、明らかにしようと考えた。だが、わずかな勉強で、来年で創始して六〇年を迎えるヤマギシ会の全容を捉えることはできない。大きな欠落や思い違いすらあるかも知れない。真実に迫り、〈ユートピア〉を手繰り寄せる一助になり得ていれば幸いである。第4章で参照した著作に「深海に棲む魚は、おそらく最後まで水というものに気づかないだろう」という卓抜な比喩が引用されていた。そこで生活している人たちには気づきにくいが、貴重ではある実態をいくらかでも伝えることができれば、私の仕事にも意味があることになる。ヤマギシ会の人たち、あるいはヤマギシ会からさまざまな理由で離れた人たち、さらに〈ユートピア〉や社会主義に関心のある方がたに、少しでも役立つことを強く願う。