『農業が創る未来 ヤマギシズム農法から』 村岡 到 編
農業は、人間の根源的営みである。
農業と自然に根ざす社会 エコヴィレッジの先駆 生存権保障社会を実現する
ヤマギシズム農法
書評はこちら
2014年8月8日刊行
46判174頁グラビア8頁1600円+税
ISBN978-4-904350-29-4 C0030
書評はこちら
|
目次
まえがき
序 章 農業についての基礎認識
第1章 日本農業の困難な現状
第2章 夢ふくらむ豊里ファーム
第3章 ヤマギシズム農法の実績と現状
第4章 各地の実顕地
第6章 「自然と人為の調和」とは何か 佐川清和
終 章 農業が創る未来へ
付 章 『ユートピアの模索』の反響とリプライ
あとがき
コラム 土地はみんなのもの
コラム 農業保護産業論
コラム 「研鑽」とは何?
参照文献
|
まえがき
参院選での自民党の圧勝によってTPP(環太平洋経済連携協定)参加の勢いが増すなかで、選挙一〇日後の七月三一日に、NHKの夜九時の「ニュース9」で大越健介キャスターが「『守る農業』が悪いか」と題して重要な問題提起を行ない、日本農業の衰退の意味を深刻に語った。
大越氏は、七七歳の農民作家・山下惣一氏──彼の小説『減反神社』は直木賞の候補作になったこともある──を訪ね、「日本の経済成長の歴史は、農村の収奪の歴史でもある」と教えられ、「高度成長の入り口である昭和三六年〔一九六一年〕に制定された農業基本法は、『選択的拡大』という方針のもと外国産と競争関係にある農産物を減らし、需要の増加が見込まれるものに生産を特化することを推し進めた。農村からの人口流出が顕著になっていったころでもある。山下さんに言わせれば、『あの時から日本は食糧の自給を捨てた』」と明らかにする。大越氏の話のなかで、核心的だと感じたのは、次の発言である。「確かに、農業はもうかる必要があるという意識が、ぼくにも染みついていたのかもしれない。山下さんたちは、生きるために農業をやっている。そこに、生産効率という尺度だけを当てはめるお門違いを、現代人はいとも簡単におかしている」と反省を表明した。引用は大越氏のブログからだが、番組では「私たちは農業の大切さについて大事なことを忘れていたのではないか」というような発言もあったように記憶している。
大越氏は、「事実、ぼくは市町村道でない農道の管理が、農家だけで行われていることすら知らなかった。山の上のため池が少雨で不足すれば、近くの川からポンプでくみ上げ、それを『買っている』事実も知らなかった。今の農業を知ることなしに、これからの農業を語ることはできない。そのことが身にしみてわかった出会いであった」と結んでいる。
この番組をいつも観ているわけではないが、見落とすことがなくてよかった。同意できない論評や発言を聞くこともあるが、この日の話は深く共感できるものだった。大越氏が反省する「農業はもうかる必要があるという意識」は、さらに深めれば、農業に限らず、人間の労働や生産自体が何のために為されるのか、という問題に繋がる。農業と他の産業との相違という問題とも重なる(ここから「農業=保護産業」論を認識・普及する必要が生じる。本章コラム、参照)。
この番組から八日後に、農林水産省が昨年度のカロリーベースの食料自給率が三九%になったと発表した。四〇%を切るのは三年連続である。TPPに参加したら、食料自給率がさらに急速に低減することは明白である。「食料安保」という言葉が流布しているように、その視点からも不都合と危険は明らかである。さらに日常生活でも不安は募る。
TPPは、医療分野などにもさまざまな不利益と危険をもたらすが、例えば遺伝子組み換え食品が大量に輸入されることになる。厚生労働省は、二〇〇一年四月から遺伝子組換え食品の安全性審査を食品衛生法上の義務とし、現在は食品には遺伝子組み換え食品であることを表示するようになっているが、この規制を緩和、あるいは外せば、その必要がなくなるから、食品の〈活用者〉(ヤマギシ会の創語。消費者のこと)は、知らない間に遺伝子組み換え作物(米や小麦など)を食べることになる。遺伝子組み換え食品の安全性は未だ確認されていない。東大農学部の鈴木宣弘氏が強く警告を発している(例えば、日本共産党の「赤旗」八月八日)。彼は、私たちが開いた講演会でも詳しく説明してくれた(『プランB』第四二号、参照)。このように、TPP参加によって食の安全性がますます脅かされる。この問題については、類書がたくさん書店に並んでいる。現在は、残留農薬等に関するポジティブリスト制によって、食品の安全性が保たれている。
この日本農業が直面している困難な現状をどうしたら突破できるのか、全国各地でさまざまな努力が重ねられている。先祖代々の土地で苦境のなかで営農する人たち、脱サラリーマンして新しく農業に挑む青年、限界集落に飛び込む女性、エコヴィレッジを創り協力しあう人たちが存在する。
また、打開のためにさまざまな提案が示されている。新刊の大澤信一『プロフェッショナル 農業人』もその一つである(序章などで学ぶことになる)。
農業はどんなに大切とはいえ、人間の営為の或る部分である。日本の社会は今、多くの分野・局面で難題を抱え、閉塞感を深めている。その一つが深刻な雇用問題である。「雇用破壊」とすら言われている。資本制社会では大抵の人は、誰かに雇用されることによって収入を得て生活を成り立たせている。ところが、高校や大学を卒業しても雇用先が確保できない場合が増えてきた。雇用された場合にも非正規であることが少なくない。今や雇用者の三八%が非正規労働者となった。労働時間の短縮とワークシェアーの実現が喫緊の課題となっている。私は、もう一つの活路として、農業への挑戦が試みられるべきではないかと考える。高齢化によって跡取りがいなくなり、農村は疲弊しているが、前途有為な青年が農業の担い手になるようになれば、魅力ある農業を再生させることも可能なはずである。逆に、魅力を感じれば、青年は農業に向かうだろう。
この私の小さな本は、前記のような困難に直面している日本の農業をどうしたらよいのかという問題意識に立脚して書かれている。どういう構成になっているか説明しよう。
序章「農業についての基礎認識」では、人間にとっての農業の根源的な意義について明らかにし、合わせて民俗学からも学ぶ必要があることに触れた。
第一章では「日本農業の困難な現状」を簡単に概観する。
第二章以降は、ヤマギシ会の農業の紹介と分析に充てられる。なぜ急にヤマギシ会なのか、疑問を抱くむきもあるだろうから、説明が必要となる。
ヤマギシ会の農業=ヤマギシズム農法は、壁にぶつかりながら農業を営んでいる人たち、新しく農業に踏み出した人たちに活路を見出すためのヒントを提供している。ヤマギシ会の六〇年間にも及ぶ歩みと経験は、農業を基礎にしたものであり、数多くの学ぶべき実績を示しているからである。
無理なこじつけではないかといぶかる人には、冒頭に登場した山下惣一氏が一九九三年ころにヤマギシ会の豊里実顕地を訪問したことがあることや前記の『プロフェッショナル 農業人』の最初の話に登場する人物がヤマギシ会とも関係があったという事実を知ってほしい。
『プロフェッショナル 農業人』は大手出版社の東洋経済新報社から刊行された。その人物、福岡正信氏は有機農業を営む人なら誰でも知っている自然農業の先駆者である。福岡氏をめぐるエピソードが紹介されている。自分を訪ねて稲作について聞きに来た人に、「宗教や哲学の話を二時間ノノイネづくりの話は二〇分」だったというのである。このくだりを読んで、私はヤマギシ会の創始者山岸巳代蔵を思い出した。彼の場合には養鶏なので、鶏の飼い方を聞きに来た人が相手だが、対応は同じである。ヤマギシ会の北大路順信さんに「知っていますか?」と尋ねたら、ヤマギシ会から彼の農場に何人も参加していたことがあったと教えられた。
同書では何回もプロフェッショナルな農業人が共通に核心的に大切にしている、農作物に対する姿勢を「イネに語りかける」とか「米は愛情で育てる」という言葉を引用して明らかにしている。同書にはヤマギシ会は一度も登場しないが、ヤマギシズム農法にもこの農業人の姿勢と通じるものがある(第5章)。この点でも、農業をテーマにした著作でヤマギシズム農法を取り上げることは理に適っていることが理解できる。
第2章を「夢ふくらむ豊里ファーム」としたのは、今年四月にスタートしたこの生産物直売所がヤマギシ会の現在の在り方をよく表しているからである。ヤマギシ会への根強い誤解を解くことになるだろう。
第3章「ヤマギシズム農法の実績と現状」では、一九九〇年代以前には、農業研究者のなかではヤマギシズム農法は一目置かれ注視され分析・紹介されていたことを明らかにし、農林水産省の東海農政局によるヤマギシ会の農業についての記述を紹介する。さらに、昨年、ヤマギシ会の中で開かれた農業をテーマにするシンポジウムも転載した。
第4章「各地の実顕地」は、ヤマギシ会が全国各地で創り上げている実顕地のいくつかの取材報告である。実は、私は今年三月に、『ユートピアの模索──ヤマギシ会の到達点』を著した。この小著では農業に重点を置かなかったので、ヤマギシズム農法について主題的に取りあげてはいない。だが、さらに知るにつけて真正面から明らかにしなくてはいけないという思いを強く感じた。それで、全国に広がるヤマギシ会の実顕地のいくつかを訪問取材した。和歌山県の六川実顕地、秋田県の大潟実顕地、北海道東部の別海実顕地を訪ねた。その報告である。
第5章では「ヤマギシズム農法の特徴と意義」を明らかにした。
さらに、春日山実顕地で生活している佐川清和さんに当事者からの提起として執筆していただいたので、第6章に収めた。
終章では簡単に各章を要約した。
付章として「『ユートピアの模索』の反響とリプライ」を付けた。前記の小著には、「ヤマギシ会が一九九〇年代後半からのバッシングに耐えて現在も健在であることが分かった」などと、少なくない反響が寄せられ、批評も加えられたからである。
本書を通読すると、具体的な事実についてもいろいろと知ることになるが、合わせて事実の底に貫かれている理念や理想に重点が置かれていることにも気づくであろう。私は、次のような日本人特有の思考傾向を克服したいと、強く考えているからである。優れた仏教哲学者中村元は名著『日本人の思惟方法』で、日本人は「理」を重んじないで「事」に傾くとその特徴を抉り出した。「普遍的な命題を人間関係から切り離して抽象的に考えることを好まな」い。何が説かれたかではなく、誰が話したかによって正邪を判断する傾向が強い。
理念を軽んじるこの風潮は、政治に目を転じれば、すぐにその弊害に気づく。この一七年間に二〇以上の政党が国政レベルで泡のように生じ、消えていった。理念を軽んじて当面の政治的個人的利害だけで群れているにすぎないからである。政治の劣化は著しい。それでは、未来を創造することはできない。〈農業が創る未来〉を実現する不可欠の資質は、人間への深い愛情と透徹した理念を求める努力にある。本書は、その努力に繋がっていると、信じたい。 村岡 到
農業が創る未来 ヤマギシズム農法から 村岡 到 編
目次
まえがき
序 章 農業についての基礎認識
1 農業の根源的な意義
2 民俗学との接点
第1章 日本農業の困難な現状
第2章 夢ふくらむ豊里ファーム
1 豊里ファームのスタート
2 なぜ開店できたのか
3 小さい一歩だが大きな可能性
第3章 ヤマギシズム農法の実績と現状
1 農事組合法人のトップに躍り出たヤマギシ会
2 農業関連の世界では以前から注目あびる
3 足立恭一郎氏の研究
4 農林水産省の東海農政局による紹介
5 「耕畜連携」の先駆的実践
6 ヤマギシズム農法の担い手による探求
第4章 各地の実顕地
1 別海実顕地──余りに広大な大地で
2 大潟実顕地──壮大な干拓事業に合流
3 春日山実顕地──ヤマギシ会発祥の地
4 豊里実顕地──地域の農家とともに
5 六川実顕地──小さな盆地で古くから
第5章 ヤマギシズム農法の特徴と意義
1 ヤマギシズム農法の特徴
2 何と命名すべきか
3 ソ連邦での「集団農業」の破綻を超えるカギ
4 残された課題
第6章 「自然と人為の調和」とは何か 佐川清和
終 章 農業が創る未来へ
付 章 『ユートピアの模索』の反響とリプライ
あとがき
コラム 土地はみんなのもの
コラム 農業保護産業論
コラム 「研鑽」とは何?
参照文献
|