ロゴスの本

文化象徴天皇への変革  村岡 到

なぜ象徴天皇制は成立したのか? 天皇を文化の象徴に  斬新な提起!
安倍晋三首相と天皇との関係はどうなっているのか?
玉音放送原盤の再生にはどういう意味が込められているのか?
象徴天皇制の意味を今こそ深く捉える必要がある。
第2964回日本図書館協会選定図書

文化象徴天皇への変革 村岡 到
2015年7月15日刊行
四六判 158頁 1500円+税
ISBN978-4-904350-37-9 C0031
表紙写真:井口義友
すずらん

文化象徴天皇への変革 目 次

まえがき
(戦前の)天皇制の廃絶と象徴天皇制の成立──文化象徴天皇への変革を
 第1章 歴史の無知とその報い
 第2章 日本史における天皇の位置と明治維新による天皇制の成立
 第3章 敗戦と象徴天皇制の成立
 第4章 象徴天皇制を捉えられない左翼
 第5章 文化象徴天皇への変革を

崩れゆく象徴天皇制──皇太子「人格否定」発言の意味するもの
 世襲がかかえる根本的弱点
 皇太子の人格的資質
 宮内庁の劣化と天皇制思考

〈ノモス〉を追求する意義──「尾高・宮沢論争」に学ぶ
 はじめに
 第1節 「尾高・宮沢論争」とは何か
 第2節 「尾高・宮沢論争」についての従来の評価
 第3節 「社会主義」主張への〈飛躍〉
 第4節 なぜ、尾高は〈飛躍〉できたのか
 結 び

 感想・批評
 詳しい目次

 まえがき

 一九四五年九月二日の敗戦から七〇年の今、安保法制(戦争法案)を最大の争点にして、国会の会期延長が九月二七日まで戦後最長の幅で決定された日に、この小さな本の主要部分をなす論文を脱稿した(六月二二日)。安倍晋三政権の好戦壊憲路線が、高まる世論の反対を無視して強行される政治状況のなかで、象徴天皇制をテーマにする論文の執筆にはどういう意味があるのか。
 象徴天皇制の意味を明らかにするということは、憲法「第一章 天皇」の意味を明らかにすることでもある。ところが、不思議なことと言うべきか、左翼のなかでは象徴天皇制はほとんど問題として意識されていない。そんなことで、「憲法を守れ!」と主張することに問題はないのであろうか。日本共産党の綱領には「象徴天皇制」とは書かれていない。また、安倍政権の壊憲策動の強行に対して、「立憲主義」──この言葉よりも〈法拠統治〉が適切──を踏みにじるなという声が広がっている時に、この綱領には「立憲主義」もなく、「護憲」もない。そこには大きな弱点と欠落がある。

 反動攻勢が強化されているので、これと対決して闘う者は協力し合わなくてはならない。だから、いわば味方の弱点を批判することには慎重さを要する。「敵を利する」ことになる可能性があるからである。だが、その弱点が味方の成長を妨げる大きな要因となっていたとしたら、批判を控えることはその弱点を覆い隠し味方の成長にブレーキをかけることになる。節度を保って明らかにすることは許されるというよりは、ぜひ必要である。個人でも組織でもなんらかの弱点や誤りを背負いながら生き、運営されることを片時も忘れてはいけないと心しながら検討すべきである。

 私は、この小さな本で日本の左翼の伝統的な弱点を明らかにし、その欠落を埋める内実を提起した。一九四七年五月三日の新憲法によって成立した象徴天皇制の経過と根拠を解明し、象徴天皇制の廃絶と合わせて、天皇を〈文化の象徴〉に変革することを、私は提案する。これはかつて存在しない、まったく新しい提案である。

 一六世紀の宗教改革の創始者マルティン・ルターの名言「たとえ明日、世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるだろう」(リンゴは「禁断の実」の意)を想起するほど大げさなことではないが、人はそれぞれ為すべき仕事を負っている。願わくば、この原稿執筆と小著の刊行もいくらかは社会の役に立つと思いたい。批判の俎上にのせていただいて、検討されることを切望する。

 主要部分をなす論文は、私が私的に発行している『季刊 探理夢到』第一三号=今年五月、第一四号=今年八月に大半を掲載したものを書き改めて完成させたものである。
 「崩れゆく象徴天皇制」は、二〇〇四年六月二二日に私のブログに載せた。
 「ノモスを追求する意味」は、敗戦直後に天皇制と国民主権をめぐって展開された尾高朝雄・宮沢俊義論争を取り上げたもので、『カオスとロゴス』第二〇号=二〇〇一年一〇月に掲載した。後に『生存権・平等・エコロジー』(白順社、二〇〇三年)に収録したが、本書にも再録した。
 二〇一五年六月二二日

感想・批評


澤藤統一郎

 村岡到さんから近著をいただいた。『文化象徴天皇への変革』というタイトル。表紙に「天皇を文化の象徴に 斬新な提起!」とある。この「あまりの斬新さ」に驚いた。
 村岡到といえば左翼の理論家と自らも任じ、社会にも知られる人物。その左翼理論家が、天皇制廃絶や天皇制との対峙ではなく、「文化の象徴としての天皇」を語り、これを純化する制度を提案しているのだ。
 しかも、前書きには次のような意気込みが語られている。
 「私は、この小さな本で日本の左翼の伝統的な弱点を明らかにし、その欠落を埋める内実を提起した。一九四七年五月三日の新憲法によって成立した象徴天皇制の経過と根拠を解明し、象徴天皇制の廃絶と合わせて、天皇を〈文化の象徴〉に変革することを、私は提案する。これはかつて存在しない、まったく新しい提案である。」
 村岡さんは、現行の「象徴天皇制」の弊害は大きくこれを廃絶しなければならないとしながら、「文化の象徴としての天皇」は残すべきだという。憲法を改正して現行の「第一章 天皇」を削除し、これに代えて「第一章 日本国の理念」とし、その章の末尾に位置する第8条に「天皇は日本に住む市民の文化の象徴とする。天皇に関する制度については、法律によって定める」を置くのだという。
 さらに、その具体的な制度案として、種々のアイデアが並んでいる。天皇とその家族は伊勢神宮内に居住する。財政は任意の寄付を基本として不足の場合にのみ国庫の負担とする。定年制とし退任後は選挙権を認める。五〇年に一度程度の国民投票で国民に存廃を諮る。宮内庁や皇宮警察は廃止する…。
 まだよく読み込めていない。もちろん、軽々に賛成とは言えない。が、私には、村岡さんの筆の伸びやかさが好もしい。天皇制についての議論をアンタッチャブルなものとしていない。誰に遠慮するでもなく、誰からも束縛されずに、自分の意見を述べている。体制にも、右翼にも、左翼にも、どの政党にも、運動体にも、自分の支持者にも、一切おもねるところがない。大変な量の文献を渉猟したことが記されているが、共産党や学界の権威からもまったく自由だ。そして以前の自分の見解にもとらわれていない。まさしく、自分の頭で考えたことを、自分自身の言葉で語っているのだ。
 この書の中に、次の一節がある。この部分が、全体の立論の基礎になっている。
 「私たちの政治分野での研究は政治的に真空の状態で行うものではなく、緊迫した政治情勢における明確な立場と主張の表明を外してはならない。温和な政治環境が与えられていれば別であるが、現在はそうではない。安倍首相による乱暴な好戦壊憲策動が強化されているのが現状である。私たちは、憲法第九条を骨抜きにする好戦壊憲策動に断固として反対であり、この策動を粉砕しなくてはならない。この明確な立場から考えると、象徴天皇制にどのように対処するのが正しいのか。」
 この書では、天皇や皇后、皇太子らの、度重なる憲法擁護発言・戦争反省発言を評価する立場を明確にしている。「天皇らの言動は、安倍首相による好戦壊憲策動のアクセルとして利用できないばかりか、小さくないブレーキとなっている」という認識が語られている。「この現下の政治情勢のなかでは(天皇の)『平和の象徴』としての機能に賛意を表し、その傾向を拡げるほうが良い。天皇らの言動に、戸惑いを感じたり、『裏があるのではないか』などと邪推するのは誤っている」という立場なのだ。
 もちろん、憲法改正を伴う制度の改変であるからには、長期的な展望をもたねばならない。本書は「日本人はなお、何らかの〈象徴〉なしには社会を統治できない段階を生きている」ことを前提に、「以上のような内容によって象徴天皇制を廃絶し、決定的に改革すれば、天皇を政治的反動に利用することはできなくなり、天皇をテコにした優越感や差別はその根を絶たれる。『お上に従う』などの非自律的習性も衰える。同時に『平和の象徴』としての天皇に尊崇の念を抱く国民にとっても不快感を募らせることはない」と述べている。
 リベラルな天皇への積極的な評価の立論は、当然にあり得ると思う。不十分ながら、私見は八月一七日の当ブログ〔「澤藤統一郎の憲法日記」〕に「『愚かで不誠実な首相』と『英明で誠実な天皇』との対比の構図をどう読むべきか」として書いてはいる。http://article9.jp/wordpress/?p=5440
 このときには、保守層の比較的リベラルな部分からの天皇発言の評価について触れた。村岡さんが、左翼陣営からかくも真っ正面に肯定し、しかも憲法制度にまで踏み込んで言及していることは知らなかった。このような刺激的な提言は、自分の考えを吟味し、再考する良い機会となる。
 おそらくは村岡説と同じ結論にはならないと思うが、あらためて天皇制をよく考え直してみたい。政治・文化・宗教・国民意識等々を総合して、自分なりに再整理することになるのだろうから。   (弁護士 元日本民主法律家協会事務局長)
ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」8月23日より


久留都茂子

拝復
近著『文化象徴天皇への変革』、有難く拝読いたしました。歴史から出発して、敗戦の惨状の中での象徴天皇制の成立過程を克明に辿り、天皇制の機能を分析した上で、「文化象徴天皇」への変革を提起する大胆かつ独創的な論稿、筆鋒鋭い熟年の力作と存じました。歴史的安保政策転換当日の出版となったのも、偶然以上のものを感じました。なお、『法律時報』の六月号に、東大の石川健治教授が「八月革命・七〇年後」と題する論文の中で、「ノモス論争」にふれておられます。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。   (元東京都立商科短期大学学長)〔尾高朝雄氏の息女〕


安丸良夫

 玉著拝受してまことにありがとうございました。
 ぼくは、憲法について複雑な議論にかかわったことがありませんが、いつも疑問に思っていることがあります。前文には国民主権と国際平和主義という二つの原理が明快にのべられているのですが、第一章はいきなり天皇です。前文からすると、ここは国民主権の規定でなければならない筈ではないでしょうか。第一章国民主権、第二章「戦争の放棄」(第九条)なら平仄が合います。
 しかし、明治憲法の構成を引きついで、まずはじめに天皇について規定したために、本文と前文がチグハグな構成になっているのではないでしょうか。形式上は明治憲法の改訂として現憲法が制定されたためにこうしたチグハグな構成となったのでしょう。憲法制定過程が新旧勢力の綱引きの場となった、全体としてみればアイマイな内実のものとなったということでしょうか。
 第一条を国民主権の規定と読み替えてゆくことで、進歩派の憲法言説はなりたっているように見えますが、第一条は第一義的には天皇の存在についての規定ではないでしょうか。
 ところで、皇后はぼくと同年、天皇はその一歳上で、敗戦直後に自己形成した戦後デモクラシーの子供たちでしょう。お二人とぼくのような人間は、育ちは大きなちがいですが、時代体験をかなり共有しているような気がします。しかし、それでも戦後日本も島薗〔進〕氏などがいう意味での広義の国体意識・ナショナリズムを基本的イデオロギーとしており、この広義の公共言説の中に、私たちの大部分は抑え込まれているのではないでしょうか。
 実定法よりも上にノモスがあるべきだともいえましょうが、しかしそのノモスが「文化象徴天皇」という形で具体化されれば、それはかなり容易に安易な自国中心主義に転換しうるのではないでしょうか。
 御教示にふれて一言してみました。     (歴史学者)


 文化象徴天皇への変革 目 次
 まえがき
(戦前の)天皇制の廃絶と象徴天皇制の成立 ──文化象徴天皇への変革を
  第1章 歴史の無知とその報い
  第2章 日本史における天皇の位置と明治維新による天皇制の成立
   A 天皇制は戦前の七七年間だけ
   B 明治維新による天皇制の成立
   C 天皇制の特徴・本質・帰結
  第3章 敗戦と象徴天皇制の成立
   A ポツダム宣言と降伏文書の重さ
   B 敗戦の惨状、その酷さ
   C 天皇と天皇をめぐる敗戦直後の言動
   D 憲法の制定経過
   E 明治憲法と新憲法との断絶
   F 「象徴天皇制」の成立過程
   G なぜ象徴天皇制は成立したのか
   H 象徴天皇制の機能
   I 小括──〈一九四七年敗戦革命〉の明確化を
  第4章 象徴天皇制を捉えられない左翼
  第5章 文化象徴天皇への変革を

崩れゆく象徴天皇制──皇太子「人格否定」発言の意味するもの 
  世襲がかかえる根本的弱点
  皇太子の人格的資質
  宮内庁の劣化と天皇制思考

〈ノモス〉を追求する意義 ──「尾高・宮沢論争」に学ぶ
  はじめに
  第1節 「尾高・宮沢論争」とは何か
   1 何が論争されたのか
    A 尾高「国民主権と天皇制」の内容
    B その後の応酬
   2 時代的背景
   3 尾高と宮沢との関係
  第2節 「尾高・宮沢論争」についての従来の評価
   1 通説的評価では尾高説の「敗北」
   2 通説を批判する菅野氏の見解
  第3節 「社会主義」主張への〈飛躍〉
   1 「民主主義」実現のための「心構え」
   2 『自由論』における「社会主義」の主張
  第4節 なぜ、尾高は〈飛躍〉できたのか
   1 科学の目をもった「愛国者」
   2 〈ノモス〉を追求する意義
   3 「社会化された民主主義」──〈社会主義〉への接近
  結 び