親鸞・ウェーバー・社会主義 村岡 到
意表を突く三題噺により、社会主義像をかつてない深さで描く。〈心の在り方〉と〈社会の変革〉を調和して追求する。
「資本主義の限界」を突破するのは社会主義だ!
山田太一評
「愛」とか「宗教」とか、科学的記述を損なう輪郭も実体も判然としない世界を、なんとか網の中に捉えようとなさっていること、その努力に胸を打たれるし、その必要もとても感じました。
2012年10月1日刊行
A5判 240頁 2400円+税
ISBN978-4-904350-25-6 C0036
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第1部 愛・宗教・社会主義
なお広く読まれている親鸞はどのように生きたのか。何を説いたのか。戦前に大本教はなぜ大弾圧を受けたのか。「宗教はアヘンである」と切り捨てることによって、見失ってきたものを明らかにする。〈心の在り方〉を探ることと〈社会の変革〉とは調和して追求されなくてはいけない。
第2部 梅本克己と尾高朝雄に学ぶ
梅本克己さんは、敗戦後の思想的な混迷期に「主体性」論を提起して、マルクス主義陣営に一石を投じた。尾高朝雄さんは、『自由論』でイギリス型「社会主義」を提起した。二人とも戦前は観念論哲学の下にあったが、ともに〈平等〉を志向することで「社会主義」を主張するようになった。
第3部 ウェーバーを超える
ウェーバーは、マルクスと対比することによって反「社会主義」者であるかのように理解されているが、そうではない。ウェーバーの「社会主義」批判に学び、かつ彼のペシムズムを超えて、社会主義を実現するためにこそ、〈清廉な官僚制〉を創造しなくてはならない。
第3部 社会主義への政策論
自衛隊、税制、国民投票についてどのように考えたらよいのか。単なる「何でも反対」論の水準を超えて、原理的かつ現実的な代案を提起する。〈国家の自衛権の放棄〉と〈不服従抵抗権〉こそ活路である。公平な税制を実現する道はどこにあるのか。脱原発を実現する手段として国民投票を活用しよう。
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まえがき
小著のタイトルを「親鸞・ウェーバー・社会主義」という滅多にない三題噺にしたのは奇をてらったわけではない。この数年間かんがえつづけてきたことをまとめたらそうなったのであり、私としては関連性も一貫性もあるつもりである。
八〇〇年前に、親鸞は弾圧に抗して〈仏の前での平等〉を説いた。経典の漢文の訓読を自由に読み替え創語もして〈異端〉を貫いた。この生きざまと自由な発想を学ばなくてはいけない。これが本書第1部。戦前に大弾圧を受けた大本教にも論及した。
ウェーバーは、レーニンが一九一七年の夏に『国家と革命』で「国家の死滅」を論じていたころに、革命勝利後にも「未来の隷従の容器」=「官僚制」が不可避であると見通した。だが、ウェーバーは社会主義を全否定していたわけではない。「倫理的公準」に立てば、社会主義の可能性はあるとも注意していたのである。これが本書第3部。そこで提起した〈清廉な官僚制〉を、イタリアのグラムシが八〇年も前に提起していたと、聴濤弘氏から最近教えられてビックリした。
第2部は、第1部と第3部を繋ぐとも言えるし、両者に通底する、私の社会主義論の根底に据えている人間理解を明らかにするものである。梅本克己の主体性論と尾高朝雄の法哲学は深くて鋭い。二人とも〈平等〉を思考・志向の根底に位置づけている。
第4部は、社会主義をたぐり寄せるための現実的問題に対する対案に関する論文を三つ集めた。自衛隊も税制も脱原発の国民投票も、待ったを許さない喫緊の政治的課題である。〈国家の自衛権の放棄〉と〈不服従抵抗権〉を新しく提起した。政局の混迷、政党の溶解が進んでいるが、政策的内容を埋めることなしに、政治屋が離合集散を繰り返してもこの窮状から脱却することはできない。
〈閉塞時代〉と特徴づけられる日本政治の現状をどう見ているのかについても明らかにしておきたい。
昨年の3・11東日本原発震災から一年半が経過。死者二万人超で三四万三〇〇〇人の被災者はなお住み慣れた故郷から遠隔の地に移り住んだり仮設住宅で生活している(九月一一日、テレビ朝日ニュース)。福島第一原発では破壊された原発の廃炉や核燃料棒の保管などのために下請け労働者が放射能被害の恐れが高い過酷な労働に従事している。地球の生態系すら破壊する放射能の被害は今後どのように拡大してゆくのか、誰にも分からない。
このまったく新しい事態に直面して、日本の世論は明らかに変化している。今年三月末から始まった首相官邸前の脱原発金曜デモは、六月二九日の二〇万人をピークに毎週数千、数万の規模で持続的に展開され、各種の世論調査などでも〈脱原発〉の方向を選択することが広範な民意であることを明らかにしつつある。
それにもかかわらず、なお政治の場では〈脱原発〉を明確に決定することはできず、国会は消費税増税を強行採決しただけで、重要な諸課題はほとんど先送りされ、政策的争点はぼんやりしたまま、民主党と自民党の党首選挙の話題に焦点が移り、総選挙も取り沙汰されている。しかし、選挙制度は民意を歪曲・圧殺したままである。
日本では、毎年自殺が三万人以上が一四年も続いている。政府が六月に発表した二〇一二年版『自殺対策白書』によれば、二〇一一年の自殺者数は三万六五一人。自殺率(人口一〇万人当たりの自殺者数)は約二四人。先進国ではロシアにつぐ高さである。「若者の自殺が深刻化」している。先進国で日本だけが若者の死因トップが自殺となっている。「自殺したいと思ったことがある」人が、二〇歳代では二八・四%にものぼっている! 異常と言うほかない。まさに「希望喪失社会」への警鐘である。
大学を卒業して就職を希望してもその四割もが企業による内定を得ることができない。全国の来春卒業予定者数は約五五万人で約四二万三〇〇〇人が就職を希望し、そのうち約一七万人が内定を得られていない。これでは、まともな生活はできず、結婚もできない。将来への希望が持てないのは当然である。
こうした現実を少し直視するだけでも、現在の日本が立ち至っている事態の深刻さは明白である。どの問題についても現実的な解決策が問われている。
失業と就職難についてだけ取りあげると、社会に供給されている物資が不足しているわけではない。例えば、原発稼働なしには不足すると宣伝されていたのに、この猛暑でも電力の供給は足りていた。このように多くの物資が過剰に生産されている。どうしたらよいのか。抽象的に言えば、生産の場では〈ワークシェアリング〉によって労働時間を短縮して労働者の数を増やし、消費の場では〈生存権所得〉によって物資の取得・配分をより均等化することが必要な段階に社会は発展してきたのである。同時に、生産拡大だけを至上命令とする生活スタイル・価値観からの転換が問われている。一言でいえば〈脱経済成長〉である。
その視点からすれば、この小さな本で取りあげ、論じていることは、いかにも迂遠とも言える。しかし、原理的レベルでの確固とした価値観や方向性に裏打ちされていなければ、一見現実的と思える方策でもその場しのぎになるほかない。問われている課題はいっそう深刻で根源的と言えるからである。 ……後略
2012年9月11日
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親鸞・ウェーバー・社会主義:目次
まえがき
目 次
第1部 愛・宗教・社会主義
親鸞を通して分かること
戦前の宗教者の闘い
愛と社会主義──マルクスとフロムを超えて
第2部 梅本克己と尾高朝雄に学ぶ
梅本克己さんの時代的限界
尾高朝雄『自由論』解説
第3部 ウェーバーを超える
ウェーバーの「社会主義」批判について
ウェーバーの「官僚制」論を超える道──〈清廉な官僚制〉が課題
第4部 社会主義への政策論
自衛隊の改組にむけた提案──「自衛隊=違憲合法」論に踏まえて
税制の基礎知識
国民投票の定着と活用を
あとがき
人名索引
奥 付 |