ロゴスの本

歴史の教訓と社会主義──ソ連邦崩壊20年シンポジウムから  村岡 到 編著

ソ連邦崩壊(1991年)の直後には「社会主義の敗北」「資本主義の勝利」が声高に叫ばれていたが、今や「資本主義の限界」が話題となっている。
ソ連邦崩壊の教訓は何だったのか?
新しい社会主義像はどのように描けるのか?
社会主義理論学会のシンポジウムを基礎に11人の論者が執筆。
「屈折に富んだ歴史過程をより冷徹に見据えることは、幻想的期待と幻滅の繰り返しを避けるためにも重要である」
(塩川伸明論文)より

歴史の教訓と社会主義 ソ連邦崩壊20年シンポジウムから
2012年5月1日刊行
A5判284頁 3000円+税
ISBN978-4-904350--24-9 C0036

目 次
まえがき  村岡 到
第1部 ソ連邦圏の崩壊
ソ連はどうして解体/崩壊したか  塩川伸明(東京大学教授)
ロシア企業の体制転換──20年の道程  加藤志津子(明治大学教授)
ソ連の裁判所制度はどうなっていたのか─「革命国家」の必然的帰結  西川伸一(明治大学教授)
中欧における体制転換の「正当性」──回顧的素描  石川晃弘(中央大学名誉教授)
ソ連の崩壊を西欧はどう受けとめたか?
──中国はなぜ崩壊しないか?「民主主義」と全体主義に関する考察  羽場久美子(青山学院大学教授)
ソ連とユーゴの崩壊をめぐる報告と討論から  佐藤和之(佼成学園教職員組合執行委員)

第2部 社会主義像の探究
社会主義の歴史と残された可能性──社会主義的規範の再考  森岡真史(立命館大学教授)
社会主義像の刷新──ソ連邦の崩壊から何を学ぶのか  村岡 到(『プランB』編集長)
ベーシックインカム構想と社会主義  伊藤 誠(東京大学名誉教授)
中流市民層と社会変革──ソ連崩壊20年のいま考える 瀬戸岡紘(駒澤大学教授)
大地・生産手段への高次回帰と自由時間の拡大  藤岡 惇(立命館大学教授)
あとがき  村岡 到


 まえがき

 1991年12月25日、名称に地理的固有名詞が入ってなくかつ「社会主義」を明記した最初の国家、ソビエト社会主義共和国連邦がその歴史の幕を閉じた。相前後して、東欧・中欧の7カ国も体制転換して、1917年の革命を出発点に、第2次大戦を経て拡大した、「社会主義」を標榜するソ連邦圏が消滅した。この総体は、18世紀以降の近代資本制国家の形成に比肩できる世界史を画期する大きな変動であった。
 それから20年。一つの節目と言ってもよいだろうが、日本のマスコミや総合誌や学界ではほとんど話題にすらならなかった。NHKが一度だけ特集したくらいである(『中央公論』11月号に2つの論文が掲載)。2001年には9・11テロがあり、昨年は〈3・11東日本原発震災〉が起きた。2008年のリーマンショック以来の世界経済の落ち込みも深刻である。2009年夏に自民党・公明党の政権から民主党主導の政権へと政権交代が起きたにもかかわらず、日本の政治は劣化をきわめそれらの難題への対応に右往左往している。それゆえ、20年前の遠い外国の出来事を想起している余裕はないということなのであろうが、それでよいのだろうか。
 20年前には得意げに叫ばれた「社会主義の敗北」に代わって、今や「資本主義の限界」がつぶやかれている。そうであればこそ、その歴史的出来事の正体と意味を解き明かす必要がある。歴史に学ぶことがなければ、同質の難問に直面している歴史の隘路を切り開くことはできない。
 日本共産党だけを俎上に載せることには違和感を抱く人もいるだろうが、彼らは時に対立することはあっても、ソ連邦を長いあいだ「平和勢力」と位置づけてきたのであり、その消滅の意味を説明する義務がある。しかも彼らは「唯物史観」を採用している。この歴史観は歴史を解明する有効な視点を有しているはずだから、この問題で共通認識にできる理論的解明(成果)を提供できるはずである。だが、共産党は直後に「巨悪の解体を歓迎する」と政治的立場を表明しただけである。1994年に、従来主張していたソ連邦=「生成期社会主義」論を廃棄したくらいで、積極的な理論的提起はない。非党員のマルクス主義信奉者もほとんど同じである。そのゆえもあって、左翼は衰退・混迷している。
 この論文集は、社会主義理論学会(1988年創設)が主催したシンポジウムを土台にしている。2011年11月6日に東京・明治大学で開かれた。塩川伸明氏の講演レジュメの冒頭に書かれていたように、11月7日が「革命記念日」であることは、当のロシアでも廃れ、どこの国でも「忘れられた記念日」と化している。このシンポジウムに参加した人も100人にも満たない。
 このシンポジウムは以下の報告と講演によって構成された。