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マルクス主義の解縛──「正統的な科学」を求めて  千石好郎

マルクスが復活しつつある今だからこそ
日本の左翼を呪縛してきたマルクス主義の根本的検討が必要である。
分化理論によって現代社会を分析する。

マルクス主義の解縛──「正統的な科学」を求めて 千石好郎
2009年1月16日刊行
A5判 上製 272頁 定価 3000円+税
ISBN978-4-904350-11-9 C0036

著者紹介
千石好郎(せんごくよしろう)
1936年生れ
松山大学名誉教授 社会学

主要著書
『モダンとポストモダン:現代社会学からの接近』(編著)法律文化社、1994
『社会体制論の模索:パラダイム革新への助走』晃洋書房、1997
『「近代」との対決:社会学的思考の展開』法律文化社、1999
『「近代」との対決』増補改訂版 法律文化社、2001 『ポスト・マルクス主義の形成と確立』松山大学総合研究所、2002
『近代の〈逸脱〉:マルクス主義の総括とパラダイム転換』法律文化社、2007

書評

マルクス主義の解縛──「正統的な科学」を求めて:目次

まえがき
序章 マルクスの革命論は、なぜ時代遅れになったのか
  第1節 1882年の「『共産党宣言』ロシア語第2版の序文
  第2節 マルクスのアメリカ論
  第3節 マルクス革命論の空想性
  第4節 マルクスからレーニンへ
第1部 レーニン主義とは何だったのか
 第1章 レーニンの諸実践の再検証
  第1節 「未完のレーニン」か、「グッバイ・レーニン」か 
  第2節 レーニンの政治的実践をめぐる事実認定をめぐる諸問題
  第3節 レーニン主義の本質
  第4節 今後の課題
 第2章 レーニン『何をなすべきか』の逆説
  はじめに 
  第1節 『何をなすべきか』の骨子
  第2節 ロシア革命以前における危惧
  第3節 ロシア革命以後の告発 国家社会主義社会の実体
  第4節 「新しい階級」論の普遍化を目指して
  終 節 三者の予測と暫定的結論
第2部 ポスト・マルクス主義の先駆者ダニエル・ベル
 第3章 初期における政治的立場と理論的パラダイム 
  第1節 ダニエル・ベルの経歴と業績
  第2節 初期ベルの政治的立場と理論的パラダイム
 第4章 中期におけるポスト・マルクス主義の模索
  第1節 模索の過程
  第2節 アメリカ・マルクス主義運動の内在的総括
 第5章 マルクス社会理論に対する全面的対決
  第1節 後期ベルのマルクス批判
  第2節 マルクス理論形成史に対するベルの見解
  第3節 ベルのマルクス理論批判の概要
  第4節 マルクス未来社会像
  第5節 ベルのマルクス評価の最終結論
第3部 唯物史観の再検討
 第6章 アンソニー・ギデンズの「史的唯物論の現代的批判」
  はじめに
  第1節 初期ギデンズの社会体制論
  第2節 構造化理論の構築
  第3節 『史的唯物論の現代的批判』
  第4節 『国民国家の暴力』における「批判」の深化 
  第5節 『左翼と右翼を超えて』におけるポスト・マルクス主義への飛翔
 第7章 唯物史観から分化理論へ:社会変動論のパラダイム転換
  はじめに 問題意識
  第1節 タルコット・パーソンズの分化理論 
  第2節 「経済と社会」問題をめぐる三つのパラダイムの鼎立 
  第3節 マルクス主義に対する分化理論の優位性
  おわりに パーソンズ以後の分化理論の展開
 第8章 村岡到社会変革論の到達点
  第1節 なぜ、村岡到理論なのか?
  第2節 ソ連崩壊直前の理論的立場
  第3節 「生活カード制」(および「協議型社会主義」)の提案
  第4節 村岡流ポスト・マルクス主義の模索
  第5節 村岡到氏の政治哲学論
  第6節 日本の社会主義運動史上における村岡理論の位置
  第7節 理論家から思想家への脱皮は?
  補論 村岡社会変革論の現実性と空想性
第4部 書評論文
 高田社会学の現代的意義
  はじめに
  第1節 高田保馬主要著書復刊の意図と選択の基準
  第2節 高田保馬理論の現状分析の射程
  第3節 高田保馬のマルクス批判の射程
  第4節 高田社会学の展開と今日的意義
 デーヴィッド・レーンのソ連論
  1 ソ連崩壊以後のソ連研究の意義
  2 デーヴィッド・レーン(David Lane)の経歴と主な業績
  3 『国家社会主義の興亡:体制転換の政治経済学』の概要と特徴
  4 レーン理論の特徴
  5 批判的コメント
第5部 旅の中で
 ドイツの旅で考える
 アメリカ訪問記

 参照文献
 あとがき
 人名索引

 まえがき(要約)

 「解縛」 聞きなれない言葉である。「縛りを解く」と言う意味が込められている。「何の」「縛りを解く」のか? マルクス主義の、である。著者の見解では、日本では、あまりにもマルクス信仰が長く、深く浸透し、定着していたので、たしかに1991年にソ連が崩壊して、マルクス主義の権威は、地に落ちたけれども、あたかも江戸時代にキリスト教が「隠れキリシタン」として生き延びてきたように、マルクス主義も延命してきた。そして、格差拡大、グローバルには、アメリカの金融帝国の崩壊によって、またぞろ、マルクスの亡霊の蘇生がささやかれるようになっているのではなかろうか。その徴候は、日本では、小林多喜二の『蟹工船』がブームになったり、『マルクスだったらこう考える』(光文社、2004年)の著者的場昭弘氏が「新たな階級闘争の始ま」と進軍ラッパを吹いたりしていることに、見られる。
 だが、著者は、マルクスの亡霊の復活・蘇生は、「二度目は茶番」の故事を想起せざるを得ない。やはりこれは、ソ連崩壊以後の、「社会主義の実験」の総括があやふやにしかなされてこなかったことの当然の現象なのではないのか? 著者の想念は、ここに帰着する。
 たしかにソ連崩壊後、日本でも総括の試みは、部分的にはなされた。たとえば、日本のソ連研究の第一人者である塩川伸明氏による真摯な問題提起にもかかわらず、「社会主義の実験」の「自己点検と再考」は、日本ではさほど進捗しなかったように思われる。
 著者は、そのような塩川氏の問題意識を共有しながら、そのような試みを微力ながら行なってきた。そのささやかな成果が、2007年1月に刊行した『近代の「逸脱」』(法律文化社)である。しかしながら、極めて簡略にしか論じていない部分が幾つか残されていた。その主たるものは、レーニン論とポスト・マルクス主義論とであった。本書は、それらの欠落部分をいささかでも穴埋めするための作業である。すなわち、第1部「レーニン主義とは何だったのか」と第2部「ポスト・マルクス主義の先駆者ダニエル・ベル」、および第3部「唯物史観の再検討」がそれである。その意味では、本書は、前著『近代の「逸脱」』の姉妹篇という性格を持っている。

 日本の場合は、どうであろうか? 著者の狭い知見では、日本の新左翼は、1960年代後半から70年代前半にかけて一世を風靡したが、ノンセクト・ラディカルと諸セクトの渾然一体となった運動が次第にレーニン主義へと収斂していき、1972年の連合赤軍事件を境に急速にしぼんでいってしまった。日本の新左翼は、レーニン主義への回帰という旧左翼に回収されていってしまったわけである。このような中から、真剣に「自己点検と再考」を行なう中で、総括をやりきった人は数少ない。その一人が、本書第8章で取上げた村岡到氏であり、笠井潔氏なのではなかろうか? 
 著者がさまざまな機会に痛感していることの一つは、人間は、なかなか変わらないということである。若い時に、マルクス主義の洗礼を受けた人々が、ソ連崩壊を契機に「社会主義の実験」の悲惨な実態を知ったにしても、思考回路が別のものに変更されない限り、結局は思想転換(Conversion)にまで行き着くことは困難なのではないかということである。その結果、マルクス主義の根本的総括がなされないまま、「隠れマルキスト」として結構生き永らえているのではなかろうか? そのような「隠れマルキスト」の場合、「社会主義の実験」の負の側面には、なるべく「見ざる、聞かざる、言わざる」の心理機制が働いているようである。したがって、ミロバン・ジラスの『新しい階級』やヴォスレンスキーの『ノーメンクラツーラ』など、いわゆる「際物」扱いして見向きもしない傾向があるようだ。それゆえ、今日では、なかなか入手しずらいので、本書第2章では詳細に紹介することにした。  
 著者の場合、専攻が社会学(マルクス主義の側からの呼称では「ブルジョワ社会学」)であったので、何時も、マルクス主義と社会学の複眼的思考に馴れていた。したがって、マルクス主義への疑問も、容易にその批判へと突き進むことが可能であったのではないかと考えられる。したがって、冒頭に述べた「二度目は茶番」を回避するためには、「正統的な科学」の確立が求められているのである。その初発の試みが、第7章「唯物史観から分化理論へ 社会変動論のパラダイム転換」である。
 より良き社会とはどのような社会なのか、真剣に模索する人々、マルクス主義の総括を追及している人々に、本書が何がしかの手掛かりになることを期待することにしたい。

 書評

『マルクス主義の解縛ーー「正統的な科学」を求めて』
斉藤日出治(大阪産業大学教員)

 マルクスの亡霊は、20世紀に社会主義世界システムの誕生とともにひとびとの思考と行動を支配した。この呪縛は20世紀末に社会主義が崩壊して以降も知識人を支配し続けている。著者は、本書でこの呪縛を解き放ち、マルクス主義に代わる社会認識の新しいパラダイムを提起しようとする大胆で野心的なこころみに挑む。

 第1部ではレーニンの政治的実践がとりあげられ、レーニンが強盗や詐欺による資金調達、憲法制定会議の強制的な解散、旧支配者の家族の処刑の執行、教会の破壊と財産の没収、農民の食料挑発、強制収用所など一連の赤色テロルを断行し、この実践がマルクスの「空想社会主義」の理念を実現するために正当化されていることが断罪される。またこの政治的実践のために、知識人集団である前衛政党が全国政治新聞というプロパガンダを通じて大衆を扇動し、社会主義の理念を外部注入する『何をなすべきか』が書かれたことが解明される。

 第2部では、ダニエル・ベルが社会主義に傾倒していた時代からポスト・マルクス主義へと転換する知的遍歴の過程がたどられる。ベルは経済による政治の決定を根拠にした「独占国家論」を放棄して「政治的に管理された経済」論へと転換し、階級や集団の組織化が経済的な機能よりもむしろ政治闘争や道徳的きずなや公共倫理を仲介にして行われるという認識をしだいに獲得していく。

 第3部では、アンソニー・ギデンズの史的唯物論、タルコット・パーソンズの構造的分化論が紹介され、マルクス主義の史的唯物論に代わる知的パラダイムが提言される。史的唯物論が経済的・物質的な土台による観念・理念・文化の一元的な規定という図式をとるのに対して、構造的分化論は経済・政治・文化の相互作用と多元主義的な決定を特徴とする。歴史を経済による上部構造の一元的な決定と経済的な階級闘争に還元するマルクス主義にたいして、社会の諸領域の分化と脱分化のダイナミックな相互作用による社会認識の必要性が力説される。

 マルクス主義のパラダイム・チェンジを図ろうとするこの著者の思考のベクトルは、マルクスの再読をこころみるポスト・マルクス主義の流れとも共鳴しているといえよう。社会の諸審級の重層的な決定を重視する構造マルクス主義、さらに構造マルクス主義を批判して経済当事者の思考と行動が再生産と蓄積の構造を築き上げるとして、経済当事者相互の闘争や調整を重視するレギュラシオン学派、さらには労働者の経済闘争を最優先するのではなくジェンダー、エスニシティ、セクシュアリティなどの多元的な社会闘争との節合関係において位置づけようとする節合理論などがそれである。

 著者はこのパラダイム・チェンジのベクトルに村岡到理論をも位置づけようとする。村岡氏が主としてソ連邦の崩壊を契機として、社会主義の理念を「現存する社会主義」とも、さらにはマルクスとも異なる形で脱構築しようとする思考の軌跡をたどり、「生活カード制」、「協議型社会主義」、「連帯社会主義」という理念の提起が、唯物論の経済決定論に代わる政治と経済との分節=連節の社会認識を進化させるものであると評価する。左派思想の豊かな知的交流の地平を開く好著である。

プランB 20号(09.4.1)に掲載