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近代経済思想再考──経済学史点描  武田信照

 近代経済思想の諸相を描いて、現代を照射する諸視点を浮かび上がらせる。
 同感を根幹におき「フェア・プレイ」を強調するA.スミスは、市場原理主義者ではない。
 J.S.ミルは 支配従属関係からの自立の思想や脱経済成長至上主義の思想を先駆的に展開している。

近代経済思想再考──経済学史点描 武田信照
2013年1月23日刊行
A5判 214頁 2200円+税
ISBN978-4-904350-26-3 C3033

目 次
まえがき
序 章 経済学史講義回顧
第1章 チュルゴー『富の形成と分配にかんする諸考察』の切れ味
第2章 アダム・スミスの倫理学と経済学
     ──『諸国民の富』はエゴまるだしの経済学の源流か
第3章 穀物法論争再考 ──マルサス・リカード・現在
第4章 株式会社観の転換 ──A.スミスからJ.S.ミルへ
第5章 J.S.ミル『経済学原理』の社会改革論 ──アソシエーション論と停止状態論
第6章 『ライン新聞』とマルクス ──青年マルクスの思想的危機と転回
付 論 草稿「ヘーゲル国法論批判」のマルクス思想史上の意義
     ──J.オマリーの研究について
あとがき

詳しい目次

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著者紹介 武田信照 たけだ のぶてる
1938年 長崎県に生まれる
1969年 大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程修了
愛知大学法経学部講師
1985年 愛知大学法経学部教授(1989年学部改組で経済学部教授)
1999年 愛知大学学長・理事長
現在   愛知大学名誉教授 経済学博士(大阪市立大学)
著書
1982年 『価値形態と貨幣──スミス・マルクス・ヒルファディング』梓出版社
1998年 『株式会社像の転回』梓出版社
2006年 『経済学の古典と現代』梓出版社

 まえがき

 本書は愛知大学『経済論集』に,(講義録補遺)として連載した論考「経済学史点描」(1)~(5)がもとになっている。最初にこの連続論考を書いた事情について記しておこう。 
 私は2009年3月,40年間勤務した愛知大学を退職した。この間私の主担当科目は経済学史であった。もっとも私は大阪市大の学部・大学院修士課程では経済原論を担当されていた福井孝治教授の演習に属し,福井教授が学長退任とともに退職された後の大学院博士課程では金融論を担当されていた飯田繁教授の演習に属していた。経済原論とは密接な関係があるとはいえ,大学院で経済学史を専攻していたわけではなかった。採用時は担当は経済原論か経済学史のいずれかということであったが,最終的に経済学史担当と決まったのが開講間近であったため,講義をやるには準備不足で,初年度はスミス,リカードをテキストにもっぱら外書講読を担当した。また病気休職や国内研修の期間もあり,8年間の学長時代は講義を中断したので,経済学史の講義を行ったのは実際には30年弱ということになる。
 愛知大学では学長は理事長を兼務することになっているが,私の在任期間は18歳人口の減少=大学志願者総数の減少という重圧を別にしても,「大学改革」の波が押し寄せた時代であり,大学の制度やあり方が大きく変貌する時代であった。教育・研究上の問題についてはもとより,経営上の問題についても課題は多くまた大きかった。講義の中断は,こうした状況に対処する必要から,担わざるをえなかった職務に専念するためであった。大学教員としては少なからぬ寂しさがあった。しかし学長退任後は短期間とはいえ再び講義を担当して教員生活の幕を降ろすことができたことを幸いと考えている。ただ退職間際になって,いわゆる2008年のリーマン・ショックの影響で,在任時に由来する資産運用に大きな欠損が生じることになったのは,痛恨極まりないことであった。

 さて,私の経済学史の講述範囲は,当初から重商主義,重農主義,古典派とたどり,古典派の解体までが中心で,時期的には17世紀初頭前後から19世紀中葉までになる。それ以降の経済学の展開については付論的に簡略に触れるにとどまっていた。この点は豊橋校舎で経済学史を担当されていた故平尾敏教授も当時の名古屋校舎(現車道校舎)で講義していた私と同様で,平尾教授に協力して編んだ共著のテキスト『経済学史』(杉山書店)の構成にもそれは反映している。平尾教授が死去された後,保住俊彦教授が赴任され経済学部が豊橋校舎に統合されてからは(ただし経済学部は2012年度から名古屋駅近くに新しく開校した新名古屋校舎に移転している),私が19世紀中葉まで,それ以後は保住教授が担当されるように講義を時期的に分担した。事実上ほぼ限定されていた私の講義の守備範囲が,こうした時期的分担によって確定することになった。
 本書に収めた一連の論考では,以上の守備範囲の中で,講義で立ち入っては論じなかった問題,触れはしても新たな観点から見直してみたい問題,あるいは学生の反応が強かったことに鑑み補足しておきたい問題など,講義関連の諸問題を取り上げて半ばエッセイ風に論じてみた。受講生を念頭においたいわば私の経済学史講義の補遺でありあるいは余録である。もともと退職後は,趣味の山歩きと囲碁とを基軸にした生活を考えていて,実際の生活もそれに近いといっていいが,時折自らの講義生活を振り返ってみる時,当時から気がかりであった上記諸問題がいわば宿題として残されているという気持ちが生まれてきた。幸い学部の紀要『経済論集』に掲載を許されて,同誌上に「経済学史点描」という一連の論考を連載することにし,上記宿題を果たすことにした。取り上げた問題は,特定のテーマを時系列的に追跡したものでもなければ,特定の時代や特定の経済学者の経済思想・経済学説を集中的に検討したものでもない。テーマも,時代も,人物も様々であり,アトランダムである。「経済学史点描」と称するゆえんである。このような講義余録あるいは学史点描といった純学術的とはいえない論考の性格から,講義の場合と同様,主たる検討対象となる文献を別として,参考文献は煩瑣を避けて極力一部にとどめることにする。また文献を挙げる場合でもその表記は簡略化し,引用ページや欧文表記は省略することにする。外国文献ついては邦訳がある場合はそれを活用するが,訳文は注記なしに適宜変えることもある。
 
 誰が言ったか,経済学史研究には,弁護士型と検察官型があるという。前者は検討対象の積極的側面を摘出することを中心とし,後者はその否定的問題点に焦点をあてる傾向を指している。これは経済学史に限らず,思想史一般に通じる話であろう。また積極的側面と否定的側面をあわせ勘案する場合を,裁判官型として区分できるかもしれない。ただ大まかな区分として,弁護士型と検察官型に研究タイプを分けるとすれば,私の場合は,理論的問題についての論争は別として,こと経済学史に関しては当初は対象によっては検察官型の研究もあったものの,全体的には弁護士型に近かったと思う。その後あまり意識しないまま次第に弁護士型の傾向が強まってきた印象がある。本書に収めた一連の論考でもそうした傾向は明らかである。折角検討するなら,検討対象の今日的にみて意義のある積極的側面を摘出することこそ肝要だという気持ちが,知らず知らずのうちに強くなってきたからであろう。
 ところで,先述のように私はもともと経済学史を専攻していたわけではない。しかし思い返してみれば,不思議といえば不思議な縁がある。高校3年時に大学で経済学を学ぶことに決めていたので,英語の受験勉強をかねて,スミスの分業論,マルサスの人口論(一部),リカードの地代論,J.S.ミルの経済学原理(一部)を収録した Selections from English Economists(研究社小英文叢書) を,理解の程度はともかく,巻末に付された訳読のための Notes を頼りに,ミルを除いてともかくも読んだ。もちろん当時,将来これらの経済学者の学説を研究し講述することになるとは思ってもみなかった。本書で取り上げたのも,チュルゴーとマルクスを除けば,これら最初に接した人々の経済学説である。最初の出会いが,結果的にその後の私の歩みを規定したことになる。奇しき宿縁というべきであろうか。
 
 本書の大部分は,先に記した『経済論集』の連載論考を,各章に分けて収録したものである。ただ連載(1)は,「まえがき」,「序章」および「第1章」の3区分に分けた。また第4章に中国の南開大学での名誉教授号授与式後の記念講演を,その事情を説明した前文を付して加えた。学生を対象とした一種の経済学史講義の性格をもっているからである。また付論として,第6章の趣旨を補う意味で私の研究生活の初期のサーベイ論文を収録した。この付論は,今では修正したい論旨を含んでいるが,しかし第6章の趣旨につながりそれを補強することには役立つという一点から,ごく一部の表現上の手直しを別とすればそのまま収録した。ただし改題のうえ,脚注方式を改め,参照文献の表示の仕方も変えた。第4章と付論を除く連載論考は,収録に際して細かい部分を含めるとかなりの改訂を行った。その程度は章毎に異なる。やや多めに加筆した部分を挙げれば,序章では教育改革の事例紹介,第1章ではチュルゴーの貨幣論,第2章では当事者と観察者の距離に関わるスミスの同感の理論,第5章ではミルのアソシエーション論の特徴,第6章ではマルクス博士論文の主題等々の各部分である。また寄せられた論考へのコメント・感想等に対して,上記改訂で対応したもの以外に,第2章,第3章,第5章ではかなり長めの回答や補強を追記の形で行った。初出の連載論考をご覧いただいた方にも、上記の追加した箇所に目を通していただければ幸いである。
 2012年9月

 近代経済思想再考──経済学史点描 目 次
まえがき
序 章 経済学史講義回顧
第1章 チュルゴー『富の形成と分配にかんする諸考察』の切れ味

 はじめに──「実践の経済学者」──
 第1節 近代資本主義像への接近
   1 階級分析
   2 利潤の一般性
   3 資本の5つの利用方法および収入諸形態間の関係
 第2節 使用価値(物)の諸問題
   1 土地の有限性
   2 貨幣と使用価値
   3 農産物の特性
第2章 アダム・スミスの倫理学と経済学──『諸国民の富』はエゴまるだしの経済学の源流か──
 はじめに
 第1節 『道徳感情論』の倫理学
   1 同感と道徳的基準
   2 利己心の是認とその制御
   3 正義と慈恵
 第2節 『諸国民の富』の経済学
   1 商業社会の論理,「見えない手」の論理
   2 「フェア・プレイの侵犯」としての重商主義
   3 「自然的自由の制度」──その光と影──
 〔追記〕
第3章 穀物法論争再考──マルサス・リカード・現在──
 はじめに
 第1節 穀物法論争の論争内容
   1 マルサスの主張
   2 リカードの主張
 第2節 穀物法論争とリカード経済学
 第3節 穀物法論争をめぐる新視点
 〔追記〕
第4章 株式会社観の転換──A.スミスからJ.S.ミルへ──
 前 文
 はじめに
 第1節 A.スミスの株式会社論
 第2節 J.S.ミルの株式会社論
 おわりに
第5章 J.S.ミル『経済学原理』の社会改革論──アソシエーション論と停止状態論──
 はじめに
 第1節 アソシエーション論
   1 「将来」章の主要論点
   2 アソシエーション論の基本内容
     A 労働者と資本家のアソシエーション
     B 労働者間のアソシエーション
   3 ミル・アソシエーション論の特徴
   4 生産・分配二分論とマルクスのミル批判再審
 第2節 停止状態論
   1 利潤率の低下傾向論
   2 利潤の最低限をめぐる諸問題 
   3 停止状態についてのミルの評価
   4 ミル停止状態論をめぐって
 〔追記〕 
第6章 『ライン新聞』とマルクス──青年マルクスの思想的危機と転回──
 はじめに

 第1節 博士論文(準備ノートと本文への注)をめぐって
   1 時代の課題と哲学の実現(準備ノート)
   2 哲学の実践としての批判(本文への注)
 第2節 『ライン新聞』の諸論説(政治批判の諸相)
   1 「出版の自由と州議会議事の公表についての討論」(1842年5月)
   2 「木材窃盗取締法にかんする討論」(1842年10月~11月)
   3 「モーゼル通信員の弁護」(1843年1月)
 おわりに
付 論 草稿「ヘーゲル国法論批判」のマルクス思想史上の意義──J.オマリーの研究について──
 1 
 2 
   1 「批判」の位置
   2 「批判」の方法
   3 「批判」の政治,社会理論
 3 
   1 「批判」の位置づけ
   2 フォイエルバッハ受容をめぐって
あとがき
人名索引