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ベーシックインカムの可能性──今こそ被災者生存権所得を!
  書評:斉藤日出治

村岡ベーシックインカム説を論争的に深化した書
 生存権への想像力を欠落させたマルクス主義を批判した社会主義論

 ベーシックインカム(BI)論が社会再生をめぐる言説として浮上している。BIは近代的な所得概念の歴史的制約を明るみに出すと同時に、それに代わる新たな所得形態を提起するものでもある。近代的な所得概念とは、私的所有者が生産活動に際して土地・資本・労働などの生産要素を提供する代償として受け取る報酬のことである。利潤とは資本家が生産活動に提供した生産手段に対する対価であり、賃金とは労働者が生産活動に提供した労働時間に対する対価である。だが私的所有の下でひとびとの協働的関係が発展し、生産の基盤がそのような協働的関係におかれるようになるとともに、それらの所得形態の非現実性と非合理性が露呈してくる。産業資本家の利潤は、ひとびとの協働の成果を無償で収奪するレントのようになる。労働過程における情報、知識、技術、コミュニケーション、情動などの要素が増大するとともに、富の源泉は、労働者の個別的・直接的労働からひとびとの「一般的知性」(K・マルクス)へと移行するようになる。
 現行の所得形態は、このような協働的関係の成果を私的に分断し、不労所得として収奪する回路になっている。諸種のローン債権を証券化して売買する金融取引は、文字通りそのような協働的関係を私的に収奪する回路にほかならない。
 そのような現行の所得形態に代わって、富の源泉としての協働的関係をともにわかちあう所得形態が求められるようになる。BIはそのひとつのこころみと言える。
 本書では、所得を、資本に提供した労働時間によってではなく、労働能力をもたない人もふくめた社会成員の生存権によって根拠づけ、すべての人に生存権にもとづく所得保障を行うよう提言する村岡到氏のBI論を基調にして、社会運動、行政、労働運動に携わるひとびとが、みずからの運動の経験を踏まえて、実践的な視点からBIを検討している。
 第1部では、新自由主義のエコノミストの原田泰、長野県南部の村長の曽我逸郎、生存権フォーラム事務局長の高橋聡の三氏がそれぞれの立場からBIの意義と実施策を提言している。原田氏は、BIが労働者の交渉能力を強め、労働の選択の自由度を高めると同時に、賃労働以外の非市場的な活動(ボランティア、芸術活動など)を自由に選択する可能性をはらむものと評価する。これに対して、曽我逸郎氏は、BIが市場経済における共同体の役割を果たすことを強調する。ひとびとの最低生活を保障し相互扶助を行うというかつて共同体が果たしていた役割を共同体に代わって果たすのがBIである、と。高橋氏は二〇〇年の資本主義の歴史を振り返り、一八世紀末のトマスペインの土地公有論から二〇世紀の福祉国家論に至るまで、私的所有にもとづく所得概念だけでなく生存権にもとづく所得概念が提起されてきたことを確認する。
 第2部では、村岡氏の近年の二著(『生存権所得』[二〇〇九年]、『ベーシックインカムで大転換』[二〇一〇年])をめぐる書評が収められる。多くの評者が村岡氏の生存権にもとづく社会主義論に注目している。氏は、二〇世紀の「現存した社会主義」の理念を批判的に再検討し、「階級闘争史観」「労働に応じた分配」「計画経済」といったマルクス主義の命題に代わって、「市民自治」「生存権」「協議型経済」という新たな理念にもとづく社会主義の再生を提言し、この新しい社会主義の政策として「生存権所得」を位置づける。とりわけ生存権を日本国憲法の法理念に基づいて根拠づけ、この理念が労働力商品と非和解的であるがゆえに憲法の生存権を基盤にした社会主義を展望するという異色の社会主義論を展開する。
 第3部では、村岡氏が第2部に収録した書評・批評に答えつつ、自説の深化を図る。氏は一七世紀以降の生存権の思想史を振り返り、マルクス以前の思想史的系譜を持つ生存権の理念をマルクス主義が軽視してきたことを厳しく断罪する。日本では戦前に森戸辰男の手によってアントン・メンガーの『全労働収益権史論』が翻訳され、このメンガーの生存権にもとづいて、戦後、森戸もふくめた憲法研究会が提言を行った結果として現行憲法第二五条に生存権が明記された経緯が語られる(「憲法第二五条と森戸辰男」)。だが、メンガムーが生存権を社会主義の基軸としてうちだしていたにもかかわらず、日本の左翼はその意義を理解せずに社会主義の理念から生存権を除外してしまった、と。
 マルクス主義は「労働に基づく分配」の概念に拘泥し、生存権をふくむ人権を市場における商品交換の原理に支えられたブルジョア的概念として軽視してきたために、BIに対する想像力を欠落してしまったと言えよう。
 三・一一の災害を経験した日本では、社会の再生の道をさししめすベクトルとしてBIが現実的な政策課題となりつつある。本書でも、「被災生存権所得」が提言されている。この議論をさらに進めて、BIの概念が国家的制約を超え、トランスナショナルな方向に、さらに過去と将来の世代に向けて開いていくことが求められる。
斉藤日出治(大阪産業大学教員・社会経済学)
『図書新聞』2011年8月13日号3026号に掲載

斉藤日出治氏は大阪産業大学経済論集第12巻第3号にも上記書評の4倍の書評を掲載されています。

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