貧者の一答 どうしたら政治は良くなるか 書評:澤藤統一郎
石川啄木に通じる「貧者の一答」
本日〔一二月七日〕は、村岡到さんからのお誘いで、討論会と忘年会〔望年会〕に出席させていただきました。討論会は、村岡さんの近著『貧者の一答──どうしたら政治は良くなるか』のタイトルをそのままテーマにするものでしたが、これがたいへん充実して面白かった。結論が決まっている予定調和討論はまことに味気ないもの。権威のない場での、誰もが正解をもたない自由な意見交換なればこその面白さでした。 ☆澤藤統一郎氏の憲法日記から許可を得て転載しました。元のタイトルは、「今の世に啄木あらば勇躍して共産党に投票すならん」ですが、本誌(探理夢到10号)で変えました。 |
貧者の一答 どうしたら政治は良くなるか 書評:武田信照
日本政治論、農業経済論、社会主義論を斬新に論じる
村岡到氏の文筆活動は実に旺盛で関心の幅も広いことは、昨年の『友愛社会をめざす』(ロゴス)などこれまで活字化された論著の数とそのタイトルを一瞥しただけで分かる。それは本書でも述懐されている、大切だと考えたらすぐにも論文にして発表するというやり方およびさまざまな分野の事象を関連づけて考えることを好むという思考法の産物であろう。これが村岡氏の文筆活動の基本的スタンスであり、それが可能なのは勘どころを素早く掴む能力のゆえであろう。異なるテーマと多様な分野の文献の検討からなる本書も、このスタンスから生みだされた果実である。 本書は三部構成である。第一部は日本政治論、第二部は農業経済論、第三部は社会主義論である。各部の議論のキーワードを示しておくと、友愛、保護、協議ということになろうか。 さらに日本政治の主要課題が脱原発から司法制度改革まで八項目挙げられているが、「諸課題を貫く〈理念〉は友愛」であることを明確にしなければならないとされる。友愛は、左翼にとっては歴史的に労資対立をカムフラージュするものとして忌避されてきたが、労資対立の認識と両立可能なだけでなく、その再定位によって社会主義像は深さを増し幅を拡げるに違いないと評価される。 確かに友愛は上級の道徳感情であり、それによって結合される人間関係は快適である。その意義の強調は分かる。問題は友愛だけで見知らぬ多数者からなる大きな社会の結合が可能かという点であろう。この点で、利己心と結びつきながらその高慢を制御する「同感」についてのアダム・スミスの倫理学が今一度再考されてよいであろう。 第二部の主題は農業経済学者石渡貞雄氏の教示を継承する「農業=保護産業」論である。農業は工業と違い生命ある有機体を生産する。だから自然を離れて農業はありえず、自然のリズムに強く従わざるをえない。工業製品の生産速度とは比較にならず、工業と同じ土俵では存続すら危ぶまれる。この農業・工業の本質的相違の認識が保護論の前提にある。こうした事情のためどこの国でも形態と程度の違いはあれ、歴史的に農業保護主義は支配的傾向であったことが指摘されると同時に、保護政策を消極的なものとしてではなく、農業=保護産業として明確な意識化・自覚化がなされなければならないと主張されている。聞くべき主張であろう。こうした観点からマルクスおよびマルクス主義の農業観が手厳しく批判されていて、私にとって賛否分かたれる問題が論議されているが、それについてはここでは省く。 こうした理論的主張とともに、日本農業の現状が簡単に紹介され、その再生の方策の目玉として「農業保護税」の政策が提示されている。それは関税にかわって輸入後の農産物に保護税を課し、それを農家の生活保障にあてるという構想である。輸入農産物は課税分高くなり関税障壁と類似の機能をもつが、加えて保護税分が支払われるという点をどう考えるか。それはともかくこれは農業を関税障壁によって保護するか裸の市場競争に委ねるかという二者択一的選択にとらわれない政策模索の一つとして評価すべきであろう。 紙幅の関係から、第三部については今は顧みられることの少ない社会主義経済計算論争の復位が試みられ、また社会主義経済での生産・分配システムについて貨幣と市場を超える道として「協議生産」および「生活カード制」という興味深い構想の提起がなされていることを指摘するにとどめる。 以上のどの論点も問題提起的で、「討論の文化」を要請するものといえる。 |
貧者の一答 どうしたら政治は良くなるか 書評:平岡 厚
サブタイトルが「どうしたら政治がよくなるか」である本書は、古くからの本会会員である著者が、現在の日本の政治、農業、および経済の諸問題に対する「一答」を提起したものである。著者の主張は、まえがき(―「資本主義の終焉」にさいして)に続く、停滞する政治の現状と政治の理念(第I部)、農業の根源的意義(第II部)および協議経済の構想(第III部)に展開されている。 第I部は3論文からなり、第1論文では「次の選挙でどの候補者に投票したらよいか?」を明らかにする意味と基準を提起し、第2論文では2009年の総選挙で誕生した民主党政権の失敗を考察した上で、第3論文において、今日の政治が貫くべき理念として「友愛」の重要性を訴えている。 第II部は著者の農業論であり、著者の旧著作(『生存権・平等・エコロジ-』、白順社、2003)に収録されている2篇を含む3論文の内容を含んでいる。著者はここで、農業の意義を論じ、在来のマルクス主義における農業の扱いを批判的に検討した上で、日本農業再生に向けた提案を行っている。 第III部は、著者による社会主義経済の構想で、以前に著者が編集した『原典 社会主義経済計算論争』(ロゴス、1996)を解説した「社会主義経済論争の意義」と、2008年に発表した「社会主義の経済システム構想」の2論文からなっており、前者において触れられているミ-ゼスらの社会主義経済不可能論(「合理的経済は、価値、市場、貨幣を必要とするので、それらが廃絶された社会主義経済は不可能である」というもの)に対する反論(「生活カ-ド」制と協議生産にもとづく経済体制の提起)が後者である、という形になっている。 第I部については、以下に、そのキ-ワ-ドである「友愛」に的を絞って論じる。著者が指摘するように、日本国憲法でも政党の綱領でも、「自由」と「平等」は、ある程度は登場するが、フランス革命において、それらの理念と同等であった「友愛」は全く出てこないのは、確かに不自然である。「現在の日本のような発達した資本主義経済の立憲民主制国家において、生産手段・資本の私有が一般には存在しない社会主義経済への体制変換(政治制度は不変)である則法革命・平和革命を目指す左翼こそ、「友愛」を再定位すべきである」という趣旨には同感である。そのためには、現在の先進資本主義国の社会に一応は適応している正統派を含め、少し意見が異なるだけの同士・仲間を敵扱いする現象が生じた原因(何故、そのような「文化的遺伝子」のようなものが伝承して来ているのか)についての検討が必要であろう。その点で、著者には、共産党の組織論(民主集中制)について触れても欲しかった、と思う。 第II部においては、著者は、「農業は、生命ある有機体としての食料を生産する産業として、工業とは本質的に異なる面を持っているので、工業と同じ基準で扱われてはならず、保護されるべきものであると位置づけられなければならない」と主張する。また、在来のマルクス主義が、資本家階級に対抗する労働者階級のみに注目して、農業を工業に従属する存在とみなしてしまったことを批判している。私は、これらの指摘も正当であると思う。おそらく、蒸気機関が初めて登場した産業革命の時代に、当該思想・運動の創始者たちが、農業も比較的短期間で工業化されるであろう、と考えたためであろうが、この予想は大きな誤りであった。ここでの著者の提起は、従来の労働者だけを人間解放の主体と認識するのでも、単純に自然に帰ることを志向するのでもなく、「農業と工業の新しい結合」を追求して行くことである(具体的提案はない)。それについて、長年、生化学を専攻して来た私は、近年の生物環境工学会等をにぎわしている、植物工場という新しい技術の出現・発展に注目している。これは、近未来の農業分野で、新産業革命的激変を起こし得る技術であり、歴史的スケ-ルでは遠くない将来、その多くは空調が効いた無菌の作業場に白衣を着て入って頭脳労働と肉体労働が結合した仕事を行う高学歴層で、自宅からの出勤先は在来の農業から引き継ぐ農地跡とは限らないような新興農業(労働)者階級を増生させる可能性がある。そうなった場合、社会主義を目指す政党・政治勢力は、彼(女)等を味方として獲得するような対応をすべきであると思われる。 第III部の内容(著者の社会主義論)は、多くの会員諸氏が御存知であろうので、詳しくは述べない。私の感想は、「市場経済は永続すべきではなく、また、それを克服する方策として、国営計画経済は永久にダメであろうが、著者の唱えるような、交換機能は有るが蓄財機能は無い非流通カ-ドで貨幣を置換する、というような戦略はあり得る。しかし、体制としての資本主義が生きている状態から出発して、直接にそれを目指すのは無理筋であるので、先ず、生産手段・資本の所有は一般には存在しないが、独立採算制の事業所が活動する市場があり貨幣が流通する市場社会主義を目指すのが妥当であろう」というものである。 以上のような内容は、ソ連末期にゴルバチョフが唱道した「社会主義への討論の文化」を再起動・定着させることに貢献できるものである。鳩山由紀夫・元首相等からの私信が、先方の許可を得て掲載されており、それらの内容からも、著者が、自分とは意見・立場を異にする相手とも、真剣で友好的な論議を行うことを望んでいることがうかがえる。未読の会員諸氏も、是非、入手されてお読みになり、「討論の文化」を進めて行くことをお勧めしたい。 |
貧者の一答 どうしたら政治は良くなるか 書評:西川伸一
「貧者の一灯」というたとえがある。真心のこもった貧者による供養の一灯は、富者の万灯にも勝る功徳があることを教える。それに想を得て、筆者は本書に『貧者の一答』なるタイトルを付けた。現代の日本の政治、農業、そして経済が直面する難問に対して、「貧者」による「一答」を提起した。 |