ロゴスの本

ソ連邦の崩壊と社会主義──ロシア革命100年を前に   書評:西川伸一

 表紙に「「日本のサンダース」が解き明かす/ソ連邦崩壊の意味/マルクス主義の責任/そして社会主義」とある。本書の内容はこれら3点に要約できよう。
 2016年のアメリカ大統領選の民主党候補者指名をヒラリー・クリントンと争ったバーニー・サンダースは1941年生まれで、著者は1943年生まれである。両者は同時代人といってよい。サンダースは社会主義者を自称している。著者も若いころから「〈社会主義〉を志向してきた」根っからの社会主義者だ。さて、「日本のサンダース」は上述の三つの課題をどう解き明かすのか。
 まず、ソ連邦崩壊の意味である。70年ほどのソ連邦の歴史は〈経済改革の連続〉であったと著者はとらえる。しかし、改革では手当不可能なほどに経済が行き詰まり、ソ連邦は崩壊した。生産資材の凍結、駆け込み生産、価格体系の恣意性などの不合理な要素を抜本的に改めることができず、その経済的不整合は国家それ自体の存続を不可能にした。著者によれば、ソ連邦は共産党の指導・嚮導による指令経済社会、すなわち〈党主指令社会〉であった。その崩壊の意味は、党主政ではなく民主政が、指令経済ではなく協議経済が、〈資本主義克服社会〉の運営原則になるということである。とりわけ、前者はすでに決着がついている。万人の自由が法的に保障されたことで、「階級国家」論は存在理由を失った。
 この〈資本主義克服社会〉とは著者による創語である。〈社会主義〉とはなにかで敵意に満ちた論争を繰り返すよりも、よほど生産的だろう。「こうして、私たちはマルクスやマルクス主義の限界を超えて、広く討論・議論する共通の場を創り出」すことができる。その際、著者がマルクス主義の責任として戒めているのは次の3点である。①独善的傾向を、さらにはそこから派生する「弁証法的思考」なるジャーゴンを克服すること。「独りよがりの高慢な上から目線ではとても共感を生み出すことはできない」。②「一発逆転」的願望を放棄すること。「「歴史の必然性」というのも左翼が陥った独断である」。③「階級的憎悪」を煽る悪弊と絶縁すること。著者は「人間への憎悪ではなく、〈友愛〉を基礎にしてこそ、資本主義を克服する社会を創造することができる」と力説する。加えて、著者はソ連邦崩壊の原因解明をマルクス主義の責任として引き受けるべきだという。あの体制は「社会主義とは無縁」だったと逃げてはならないのだ。
 「そして社会主義」についてはどうか。本書の冒頭には、1991年10月4日付『朝日新聞』掲載の著者の投稿「社会主義再生への反省」が再掲されている。ここに、著者のその後の四半世紀に及ぶ〈社会主義〉をめぐる知的営為の原点がある。すなわち「これまでの社会主義の思想と理論のどこに見落としがあったのか」。これを再検討するために、著者はアントン・メンガーはじめ「他人の言説」を十分吸収した。その証拠に巻末の人名索引は5頁にも及ぶ。熟考の結果、著者は上記以外にも様々な創語を行っていく。たとえば、暴力革命に代えて〈則法革命〉を、唯物史観に代えて〈複合史観〉を提唱する。特にメンガーからは、社会変革における法律の重要性を見落としていたと著者は気づかされ、法文化へとその視野を広げる。ロシアに法を尊重する文化はなく、それがロシア革命に「法の精神」を欠如させ、さらには後のソ連社会に負の影響を与えた。「法治国家」への転換が明確に意識されたのは、なんとペレストロイカ期になってからである。
 以上が本書の太い幹である。一方、著者ならではのディテールの記述も興味深い。『赤旗』では無署名論文のほうが個人署名論文より格上とされていた。いかなる理由なのか? 「構造改革派」の略称として「構革派」が一般的だが、共産党や新左翼党派は「構改派」を用いていた。彼らを「改良主義者」として貶めるためである。ゴルバチョフ書記長にどちらが先に面会するかで、不破哲三と土井たか子が先陣争いをした。結局、不破が2日先着した。宮本顕治は著者による共産党批判を「トロ〔ツキスト〕あがりの観察」と評した。「あがり」という言い方がニクイ。
 最終章第Ⅳ部の「書評」には、丹羽宇一郎元中国大使の『中国の大問題』(PHP新書)の書評が収められている。アフリカ全体の人口を上回る14億人を中国共産党は治める。確かに、「統治の規模」の視点は中国を考える上で不可欠だ。
 いまや「友愛社会」を目指している著者であるが、本書の中では論争相手への批判には歯に衣着せぬものがある。余計な敵をつくらないかと余計な心配をしてしまう。しかし重要なのは、「村岡が言った」ではなく「何が言われたか」である。前者の属人思考の払拭を著者は仏教思想家から学んでいる。それが「社会主義へ討論の文化を」育むもう。

〔『葦牙ジャーナル』127号2016年12月15日から転載〕

西川伸一 (明治大学教授)

ソ連邦の崩壊と社会主義──ロシア革命100年を前に   書評:斉藤日出治

 いまや、グローバリゼーションは断末魔の状態にある。社会主義崩壊後に急進展したグローバリゼーションは、金融市場、労働市場などの規制緩和を推進し、国境を越えた市場競争を激化させ、中産階級の崩壊、格差の拡大、雇用喪失と成長率の低迷、「反テロ」戦争と大量の難民を生み出し、ひとびとの不満と不安が、ついに国家主義とナショナリズムの強化を招来し、イギリスのEU離脱やトランプ大統領の出現をもたらした。だが、このようなグローバリゼーションの反動は、排外主義、マイノリティの排除やヘイトスピーチ、難民の排斥といった社会の分断化と敵対関係をさらに増幅するだけで、グローバリゼーションを乗り越える道を逆に閉ざしてしまう。
 この社会の破局から脱する道を社会主義の理念の再創造を通して提示しようとするのが本書である。ロシア革命から一〇〇年を迎えようとする画期にあって、この革命によって出現したソ連邦の社会がいかなる特質をもった社会であったのかをふりかえり、その社会がなぜ崩壊したのか、その原因を探り、二〇世紀社会主義の批判的再検討を通して、その対極に独自の社会主義像を提示しようとする。
 二〇世紀社会主義を生み出したエネルギーも、そしてその二〇世紀社会主義を崩壊させたエネルギーも、ともに新自由主義的グローバリゼーションとは異質な社会形成の可能性をはらんだものであった。このことを新自由主義の破局の時代にあらためて想起することの重要性を著者は強く問いかける。
 本書は、まずソ連邦を、「国家社会主義」でも、「国家資本主義」でもなく、共産党が管理する「党主指令社会」と定義する(「党主」は「党主政」の略)。ソ連邦では、共産党が管理する指令経済を社会主義と同一視し、その体制が七〇年以上にわたって存続した。著者は、この体制を、その思想的根拠となったレーニン、さらにはマルクスにまでさかのぼって批判的に検討する。そしてそこにマルクス主義の根本的な弱点を見いだす。唯物論の社会認識、階級闘争の歴史観は、社会形成の原理としての法を軽視し、人権とりわけ生存権を欠落させ、分配よりも生産を重視し、自然環境・農業・生殖・多様性をないがしろにした、と。
 このマルクス主義の批判的考察を踏まえて、著者はマルクス主義の教義を刷新する社会主義の像を提示する。社会主義とは、国家所有、計画経済のシステムなのではなく、なによりも友愛という社会道徳を原理とする社会である、と。著者は社会主義を狭義の経済システムとして資本主義と対比するのではなく、社会の道徳的基盤にまで掘り下げて再定義する。私的利益、効用、有用性を価値規範とする社会から連帯と相互扶助と友愛にもとづく社会への転換こそが社会主義をもたらすのだ、と。
 それは人権の新自由主義的理念を打ち砕く。人権は私的所有、市場競争、私的利益という私的個人の排他的な権利から、生存、生命の尊厳にもとづく社会的個人の権利へと転換する(著者は「権理」と表現)。そしてこの権利概念を基盤にして、分配と生産の社会主義システムが提言し直される。分配は労働能力のあるひとびとの労働にもとづくのではなく、社会のすべての成員に生存権にもとづいて保証されなければない。生産は単一政党による官僚主義的な指令によってではなく、労働者の協議にもとづかなければならない。
 著者は、すべての社会成員に生活カードを配布する分配構想を提言する。著者は一九二〇-三〇年代におこなわれた社会主義経済計算論争を検討して、社会主義システムの運営に必要な経済計算方法の必要性を説き、市場価格に代る協議評価の設定、分配の公正、情報の公開、経済における道徳的・倫理的要素の重視といった多面的な視点から市場経済に代る経済計算方法を模索する。生活カード制度は、このような模索から生み出されたひとつの具体的な構想である。
 さらに、法の軽視が民衆の権利抑圧や恐るべき粛正を招いたソ連邦の社会主義に代って、法学社会主義、オットー・バウアーに代表される「オーストリア社会主義」が再評価される。今日の資本主義においても法の原理は貫かれているが、法はつねに市場や企業との関係において功利主義的な価値規範から機能主義的に解釈され制定されており、企業の私益とストレートに結びついている。著者は、このような法を生存権、社会的公正という市民的権利から再定位することによって、社会主義と法の関係を明示しようとする。
 本書に収録された諸論稿は、ソ連邦が崩壊した一九九一年に始まり、四半世紀に及ぶ。その間、社会主義革命を己の信条としてきた者として、著者は、ソ連邦の崩壊を自己自身の責任において真摯に受け止め、ソ連邦システムの内在的な批判と社会主義像の刷新に全力を傾注してきた。象牙の塔の寄食者のように専門研究にこもったり現実から逃避することなく、在野で孤独な探究をひたすら続けてきた。
 著者のこの探究は、新自由主義的グローバリゼーションによって破局的な危機に追いやられた現代社会の閉塞状況のなかでひときわ鮮烈な輝きを放っている。多様な社会運動とも共鳴し共反射する生命力をもった思考の歩みを本書のうちに読み取ることができる。

〔「図書新聞」2017年1月1日に掲載〕

斉藤日出治 (現代社会論、社会経済学専攻、大阪労働学校アソシエ講師)

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