ロゴスの本

池田大作の「人間性社会主義」  村岡 到

☆公明党は結党時(一九六四年)には池田大作氏が主張する「人間性社会主義」を綱領に明記していた。
☆去年も今年も池田氏は「SGI提言」で「核禁条約批准」を強調、だが、「公明新聞」は無視している。
☆この池田氏と公明党幹部とはどういう関係にあるのか?
☆創価学会の〈平和志向〉を活かす道を探る。

村岡到著『池田大作の「人間性社会主義」』
2019年8月15日刊行
四六判並製 154頁 1300円+税
ISBN978-4-904350-62-1 C0031

目次

まえがき
SGI「一・二六提言」の謎──序章に代えて
 第1節 平和志向を強調する長大な提言
 第2節 いくつかの疑問
「人間性社会主義」の先駆性とその忘却
 第1節 池田大作氏の創語「人間性社会主義」
 第2節 池田大作「二、人間性社会主義」(引用)
 第3節 「人間性社会主義」の先駆性
 第4節 「人間性社会主義」の弱点・錯誤と忘却
 第5節 公明党の提起に応えられなかった左翼
「創共協定」の「死文化」と池田大作──「創共協定」論の補足
 第1節 「創共協定」を取り上げる意味
 第2節 宮本委員長宅盗聴事件との関り
 第3節 共産党と公明党の対立の激化
 第4節 「創共協定」の「死文化」と池田大作
池田大作論のために
 はじめに
 第1節 生い立ち・人柄・人間観
  A 生い立ち
  B 人 柄
  C 人間観
 第2節 「嵐の『4・24』」とは何か
 第3節 池田大作の弱点
 第4節 〈妥協〉によって得たものと失ったもの
 むすび
創価学会と公明党への内在的批判
 はじめに
 第1節  公明党の現状──政治に占める位置
 第2節 創価学会の巨大さ
 第3節 創成期の公明党は「左」に位置
 第4節   「中道」の前面化による〈右転落〉
 第5節 日本市民の政治意識の特徴
 第6節 なぜ〈右転落〉は容認されたのか
 第7節 創価学会入信の初心を活かす
付 録
 インタビュー 創価学会の初心に戻れ──国会議員の活動に踏まえて 二見伸明
 高校生時代の池田先生との約束               石川美都江
コラム 「政教分離」ではなく〈宗国分離〉を
あとがき
参照文献
村岡到関連論文・著作
人名索引

 まえがき

 七月二一日投開票の参議院選挙の結果は、政権与党が過半数(非改選と合わせて一二三議席)を突破したが、憲法改悪に必要な三分の二(一六四議席)にわずか四議席とはいえ不足し、安倍晋三首相が狙う壊憲に大きなブレーキを掛けることになった。公明党は改選一一議席を三つ伸ばし、合計二八議席となり、過去最多と並び、二三日の「公明新聞」では横に「参院公明、最多28議席に」、縦に「7選挙区完勝、比例7 与党71議席 改選過半数を獲得」と大きな見出しを打ち、「党声明」では「わが党の大勝利」と誇っている。
 自民党が七議席も減らし、単独過半数を失ったので、公明党の位置はさらに重みを増すことになった。しかし、「公明新聞」一面ではまったく触れていないが、得票数を見ると、前回よりも約一〇四万票(約一四%)減らしている。日本共産党は一五三万票(約二五%)も減らしていて、それよりは酷くはないが、退潮傾向ははっきりしている。
 安倍首相が狙う壊憲については、「慎重な姿勢」を保持しているが、緊急に浮上したホルムズ海峡「有志連合」参加問題についてどういう態度を取るのか、厳しい選択を迫られている。
 自公連立政権が二〇年目を迎え、「政権の安定に不可欠」と強調しているが、急成長の時代は去り、退潮傾向が露わになりつつあるなかで、公明党はどうなるのか。支持母体である創価学会の動向と合わせて注視しなくてはならない。
 私は、一九六〇年の安保闘争の時に高校二年生で田舎のデモに参加していらい、長いあいだ、新左翼の活動家として社会主義を希求してきた。一九七八年に「日本共産党との対話」「内在的批判」を提起し、いらい共産党については目配りしてきたが、創価学会を視野に入れることはほとんどなかった。接点もまったくなかった。通勤経路に選挙になると公明党のポスターを張り出す商店があり、そこの主人がいつも道路を綺麗に清掃していて、行き帰りに挨拶する程度であった。一昨年(二〇一七年)、「創共協定」(創価学会と日本共産党との合意についての協定)をテーマにして勉強し、「『創共協定』の歴史的意義とその顛末」を発表した。この論文など、宗教と社会主義に関する論文を集めて、『「創共協定」とは何だったのか』(社会評論社)を同年に刊行した。
 それで創価学会についてもその動向を少し知ることになった。一番にビックリしたことは、創価学会のトップ池田大作氏(今年九一歳)が「宗教とマルキシズムとの共存は文明的課題だ」と、一九七五年七月に日本共産党の宮本顕治委員長との対談で語っていたことであり、一九六四年に創成された公明党は、その綱領で四つの主要点の第二に「人間性社会主義」を掲げていたことである。
 そして、創価学会について勉強して真正面から解明しなくてはならないと気づいた。にわか勉強ではあるが、日和見主義ならぬ「焦り見主義」を発揮して試論をまとめることにした。
 初めに、創価学会を解明する要点は何なのかを確認する。私の問題意識と探究に当たっての姿勢である。
 第一は、創価学会と公明党が日本の政治においてどのような位置を占め、役割を果たしているのか。とくに一九九九年いらい(途中、民主党政権の三年間のブランクがある)、公明党は自民党と組んで政権与党の位置に立ち、今では安倍首相の下で、二〇一五年九月に安保法制の成立に賛成・加担するなど、日本政治の右傾化推進の一翼を担っている。一昨年一月の宜野湾市長選挙でも昨年六月の新潟県知事選挙でも公明党が当落を左右して自民党系の候補が当選した。これらの動向については、厳しい批判を加えなくてはならない。
 第二は、創価学会はどのようにして今日の実勢を築いてきたのか。その実勢の巨大さを直視しなくてはならない。
 第三は、第一で確認した今日の公明党の動向と、創価学会創成時いらいのいわば「原点」との関係をどのようなものとして捉えるかである。結論的に言えば、私は、その関係は乖離あるいは断絶とも強調してもよいほどだと考える。この点で公明党を断罪する著作は参照文献にも上げたようにたくさん刊行され、「池田の大罪」が糾弾されている。
 だが、解明しなくてはならない核心的課題は、この決定的な乖離・断絶にもかかわらず、内部分裂することもなく、なぜ創価学会と公明党とは今日なお「一体」で、現勢力を保持しているのか、その奥に貫ぬかれているものは何か、である。
 「誤っている」と自分が判断する対象をただ非難するだけでは、その「誤り」に陥っている人を逆に勢いづかせることにもなり、その「誤り」に起因する弊害を取り除いたり、克服することは出来ない。特に「誤り」の対象が、個人ではなく組織である場合には、その組織の成員と指導的部分とを同一視して批判を加えることは避けなくてはならない。外からは一枚岩に見えるどんな組織でも全員が一体同一であることはあり得ないからである。
 これらの諸点に充分に留意した上で批判をしないと、創価学会と公明党の内からの批判を呼び覚まし、その人たちと協力する道を切り開くことはできない。
 第四は、日本の民衆の政治意識はどのようなものなのか。とくに政治的組織に関わる場合の意識の特徴を明らかにする必要がある。この民衆の政治意識に合わせて創価学会は成長してきた。それゆえ、この点を明らかにすることは、単に創価学会について知るだけではなく、今後の日本の市民運動をどのように進めるかについても大きなヒントを得ることに通じる。ここで、「民衆」と「市民」と言葉を使い分けたのは、「市民」には〈市民的権理〉の意識がそれなりに包含されているからである。一九六〇年の安保闘争の時代に、「市民運動」という言葉が流行り出した際に、「市民運動家」と言われた人が「私は市民ではなく、都民です」と答えたというエピソードが残されているが、「市民」という自意識はそれほどにまで遅れて芽生えたにすぎない。
 第五に、以上の問題意識に踏まえて探究する場合、どのような姿勢を貫くべきか。すでに第三点で示唆したように、断罪するだけの姿勢は、隠された「真実」を暴く役割を果たすこともあり無意味とはいえないが、きわめて不十分であり、適切ではない。「創価学会への内在的批判」こそが求められている。何事によらず、哲学者の梅本克己が指摘しているように「否定面の理解をともなわぬ肯定は弱いものであるように、肯定面の理解をともなわぬ否定は弱い」からである。しかも、創価学会はその初発においては、鎌倉時代の僧侶・日蓮(親鸞より四九歳年下)の仏法を受け継ぎ、「国境、人種、民族、習慣、言語の全てを超越して、全人類を根底から救いゆく力ある宗教」を目指し、「人類の平和・文化の推進」を強調した(『創価学会入門』三一七頁、三二六頁)。公明党は、その出発点では「平和の党」「福祉の党」として「人間性社会主義」を主唱していた。それゆえに、一般の事象よりもなお強く、その肯定面にこだわる必要がある。好意的理解に接すると、騙されているとか、誤解であると決めつけて、反発したり切り捨てたりするのは大きな誤りである。
 本書に収録した論文は既発表の拙文(巻末に掲示)を活かして書いたものもある。付録として、公明党元副委員長の二見伸明さんのインタビューと創価学会員の石川美都江さんの一文を収録した。
 私は、最後の論文「創価学会と公明党への内在的批判」でも強調したように、創価学会のなかの平和を志向する人たちと共産党など左翼の人たちとの協力を切実に希望する。この小さな本がそのために役立つことを強く祈念する。

 2019年7月25日                           村岡 到