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近代日本の分岐点 日露戦争から満州事変前夜まで 書評

『近代日本の分岐点』各紙で書評、好評
  長塚進吉『もうひとつの世界へ』第16号=8月1日
  若宮啓文「朝日新聞」社内報『Aダッシュ』7月号
  船橋成幸 メルマガ『オルタ』第56号=8月20日
  読書面紹介「朝日新聞」8月10日
  林 克明『週刊金曜日』9月5日号
  (純)『週刊東洋経済』9月27日特大号

長塚進吉氏の書評  もうひとつの世界へ16号=2008.8.1掲載
戦争と侵略に代る道の可能性

 この本は、日本近代史の名著を煮詰めた一種のアンソロジーである。それも、原史料を二度蒸留したエッセンスといえる。専門の学者、研究者が第一次史料から書いた歴史書や新書のたぐいの中から、評価の定まった信頼のおけるものをえらんで、著者の考えで、日本近代史を再構成している。文章が平明で、きわめて読みやすいのは、元新聞記者というだけではなく、十分に資料が読み込まれているからだろう。
 「なぜ、日本はあの無謀な戦争に突入してしまったのか、自分自身で納得のいく説明を見いだしたかったである」と、著者はこの本を書いた理由を「はじめに」で述べている。
 この疑問は著者と同じ昭和一〇年代半ばに生まれた多くの人が共通して抱いているのではないか。中学でも高校でも、日本の歴史は教わったが、明治以降については駆け足もいいところだった。遅れて世界史の舞台に登場した日本が、富国強兵政策をとって大陸に進出し、太平洋戦争に突入して負けた、と明治維新から敗戦までを一直線に突っ走っただけである。
 ほかに選択肢はなかったのだろうか? 著者は、大正時代をまるまる包み込む一九〇五年から二九年までの四半世紀を「岐路の二五年」として、この間に活躍した四人の政治家と一人のジャーナリストに光を当てる。そこから浮かび上がるのは、明治と昭和にはさまれて、ともすれば影の薄い大正という時代が、大きな変革の芽をはらんでいた、ということである。
 それぞれの章題が内容を示している。「第一章 小村寿太郎とポーツマス条約」「第二章 対華二一ヵ条要求と加藤高明」「第三章 原敬と国際協調路線の設定」「第四章 石橋湛山と『大日本主義』の否定」「第五章 田中義一と二つの干渉戦争」である。各章の冒頭に一ページの年譜が付いていて、生涯を概観できる。親の職業にまで目が届いている年譜と各人の貧しい生い立ちを読んでいると、二世ばかりの今の政治家がひ弱なのも当然とうなずける。
 平民宰相などと学校の歴史で教わった原敬は、「数の論理」による議会支配と地方への利益誘導という自民党政権の原型を作ったという。いま同じ岩手県出身の後輩が、同じ手法で政権をうかがっている状況と重ね合わせると面白い。
 石橋湛山が一九二一年に発表した「大日本主義の幻想」が巻末に再録され、全文を読むことができる。この時代に、台湾・朝鮮・満州の放棄を主張した湛山と、それを受け入れることが出来なかった大多数の日本人を思うと、歴史において「勇気」の果たす役割が大きいことをあらためて感じる。
 また、「エピローグ 岐路の年・高宗物語」として、朝鮮王朝最後の王、高宗と李氏朝鮮を日本が力ずくで植民地化していく過程を書いている。それが目を覆いたくなるような暴力的なものだったことがよく分かる
 NHKが二〇〇九年秋から三年間にわたって司馬遼太郎『坂の上の雲』をTVドラマとして放映するそうだ。おそらく、多くの日本人が「偉大なる明治」に酔うことだろう。それが、直線的に近代日本の無批判な肯定につながらなければよいが。その解毒剤としても、この本が、多くの人に読まれることを期待する。
(長塚進吉/元編集者)

週刊東洋経済の書評  2008.9.27日号掲載

 大正という時代を重視する立場から4人の政治家が登場する。いずれも一筋縄ではいかない人物たちだ。対華21カ条の要求で悪役のイメージが強い加藤高明は、後年、対中不干渉の立場に転ずる。田中義一は張作霖爆破事件で天皇に叱責された事件が有名だが、内外の情勢を見極めようとしたバランス感覚もあった。
 平民宰相として知られる原敬は、実は大衆不信が強烈で普通選挙には反対、利権型の選挙を推し進めた。小村寿太郎は、ロシアとの交渉で現実的な外交を進めたが、帝国主義的な視点から抜け出すことはなかった。いずれも功罪相半ばする政治指導者の多面的な事実を伝える。
 4人の政治家とともに、戦前はジャーナリストだった石橋湛山にも1章を設けている。力と権益に目がくらみ、大局を読み損ねた政治家たちとの対照が鮮やかである。戦前の無謀な戦争はなぜ起きたのか。その変化の萌芽は、大正期にあったとの提起は重要だ。(純)

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